マツダ交通の見たまま

主に大阪シティバスの小ネタや歴史をディープに掘り下げる考察系ブログです。

大阪市営バスの電気バス、あおぞら号。

こんにちは😃

最近は水素バスやらバイオディーゼルバスなど色んな環境に配慮したバスが増えました。特に電気バスに至ってはBYD社のがよく見かけます。

大阪シティバスには未だ海外製の電気バスは導入されていないのですが、市営バス時代にはかつて電気バスが運行されていました。

その名もあおぞら号

f:id:Matsuda_KOTU:20210924165149j:image[大阪22あ *477(1972年式) いすゞEU05]

 

大阪市営バスでは1972年4月1日にこの電気バスを2台導入しました。あくまで実用化試験という名目であり、車番は大阪22あ *476大阪22あ *477でどちらもシャーシがいすゞ、ボディは川崎重工業(前側のタイヤすぐ後ろにエンブレムがある)で、九条営業所に導入されました。

 

大阪市営バスの電気バスはこのあおぞら号が初めてではなく、既に戦前の頃から戦時中のガソリン規制の影響を受けて代燃車を確保するために1937年8月に導入され、最盛期には青バス(大阪乗合自動車)から移譲されたバスも含め、60台ほどが運行していました。しかし、終戦後にはガソリン車が復活し、新たにディーゼル車が導入されたことで1951年には全廃されました。

f:id:Matsuda_KOTU:20210924174442j:image[当時の電気バス]

なぜ製造されたのか?

電気バスの導入に踏みきる2年前の1970年頃には道路を走る自動車が増加し騒音や排出ガスによる大気汚染が社会問題化しました。しかし、大阪万博から脚光を浴びた電気自動車の注目が高まり、1971年通商産業省(現:経済産業省)が電気自動車を大型プロジェクトとして取り上げられるほど。

その背景があって電気バスを復活させる動きがありました。

f:id:Matsuda_KOTU:20210924170313j:image[バス全長9.2m、定員70名]

車両には御堂筋線10系などでも採用されたサイリスタ・チョッパ制御を採用し滑らかな運転ができる上、電力消費を少なくする努力もされています。

 

実際はどうだったのか?

九条営業所に配置後は主に88号系統(大阪駅前~大阪港)などで運行し、当時は再開発された中では初めてとなる大型電気バスとなったため内外からの見学者が相次ぎ電気バスに対しての関心が高まりました。

1974年10月には九条営業所の自動車車両工場の移設の絡みで2台とも春日出営業所に転属。79号系統(大阪駅前~桜島駅前)などの路線で運行していましたが、1982年3月にバスの耐用年数切れ全て廃車になりました。実用試験結果では総走行距離が50万km(地球約12周以上)を超えるという、当時の日本国内においては最も長い電気自動車企画の実績でしたが、本格的な採用には至りませんでした。

この電気バスの騒音性は無く、また排気ガスも出ない。乗り心地も良いといった三拍子が揃う反面、バッテリーの寿命で行動距離が制限されたこと、一般のバスと比べて経費が約5倍と高すぎるため限界があったものと思われます。

京都市交通局も洛西営業所が開設された1979年に三菱(ME460型)の電気バスを6台導入し、洛西エリアの団地輸送にあたっていましたが結局は坂道の多いためバッテリーの消耗が激しく、常時満員でも採算が取れないほどの維持費の高さで1987年には全車廃車され、『あおぞら号』よりも短い命でした。当時は電気バスも持つだけでこれだけの苦悩があったのですね。😌

電気バス引退から約40年。大阪シティバスも電気バスを導入することがあるのでしょうか?

 

では👋