マツダ交通の見たまま

主に大阪シティバスの小ネタや歴史をディープに掘り下げる考察系ブログです。

【大阪シティバス路線の歴史02】34号系統

こんにちは。久しぶりの投稿になります。 さて、今回は大阪シティバス路線の歴史、第2回目になります。 それもシティバス屈指のドル箱路線である34号系統の歴史を見ていこうと思います。

34号系統とは?

[34号系統の運行経路図] 時刻表検索|Osaka Metro

34号系統は大阪駅前から豊崎を経由して天神橋八丁目、そこから毛馬橋で旧淀川を越えて北上し、旭区北部を突き抜けながら守口市にある守口車庫までに至る路線です。 大阪駅から守口方面に向かうのですから地下鉄谷町線の東梅田~太子橋今市(区間)を並行して走るのかと思えば、実は谷町線の走る区間よりも北の経路を走っていることになりますね。 またこのバス路線は一番売上高が高い(いわゆるドル箱)路線として存在し、朝ラッシュであれば8時台の守口車庫行きは27本、7時台の大阪駅前行きは29本と約2分ヘッドで運行するバス路線です。もはやバスのダンゴ運転ですね笑

34号系統の歴史

それでは本題に入っていきます。 34号系統は1953年12月15日に開設された路線です。 とはいえ、実は1940年には既に34号系統が存在しており、経路が天神橋筋六丁目~なんば経由元町二丁目(1941年9月1日になんば~元町二丁目間の区間休止に伴い、なんばに短縮)とあるため本当のルーツはこの辺りになるのですが資料が少なすぎるため割愛させていただきます。🙇‍♂️

また1945年の終戦時にはこの34号系統は走っておらず休止になっていたため1953年に開設された際には新設というよりも〝路線が復活した〟という認識で見ていいのかと思います。 さて、話は戻しますが戦後に開設された34号系統は、現在の経路と比べてみてどうでしょう? 全くもって今の経路とは別物ですよね笑

当時は天神橋筋六丁目から扇町付近を通り、曽根崎警察署の辺りから下へと御堂筋を沿って難波に至る路線なんです。ちなみにこの路線は寄り道をして大阪駅前のターミナルに入ることはありません。終点の難波は新歌舞伎座前に乗り場があり、起点の天神橋筋六丁目には天六操車場(→現在のOsaka Metro 天神橋筋六丁目ビル付近)が存在していたのでそこから出ていたのだと推測します。

1956年に入ると34号系統は太子橋(現:地下鉄太子橋今市)まで延長されます。 補足ですが、阪急阪神前~太子橋間では1953年に開設した58号系統(大阪駅前~太子橋)と路線が重複するため、34号系統が太子橋まで延長した際には並行して走っていましたが翌年には廃止になっています。58号系統はわずか3年と短命な路線でした。

1969年4月には特34号系統(大阪駅前~守口車庫前) が開設されます。※1

これは大阪市電の守口~阪急東口間が1969年3月31日をもって廃止になることに伴い、代替として作られた路線です。現在の34号系統と結構近いような感じがしますよね~😯

またこの時の大阪駅前行きは、またしても駅前ターミナルには入ることなく都島通沿いにあるOSビル下にあった「阪急東口」バス停が終点でした。 しかも阪急東口が終点であったのに対して、行先方向幕は大阪駅前で設定されていたようです。

※1:一時期は急行運転も行っていた。

翌年1月には御堂筋が一方通行化されてことに伴って34号系統の阪急阪神前(大阪駅前を経て曽根崎警察署前に改称)~なんば間は行けなくなり、大阪駅前(現:曽根崎警察署前)~太子橋と短縮されました。さらに特34と合わせて、天六大阪駅前間はループ運行という形になりました。 [1974年当時の大阪駅前のりば(赤線で表しているのは34・特34号系統の順路)]

当時の地図を見てみると富国生命ビルの上隣のバス停が阪急東口、下隣のバス停が大阪駅前(現:曽根崎警察署前)になります。このようにターミナルには入らず駅前付近をぐるっと回っていたのです。

補足ですが、同じく1970年1月に臨34号系統(なんば~大阪駅前)、臨34A号系統(なんば~天神橋筋六丁目)、臨34B号系統(太子橋~大阪駅前)が廃止(新)臨特34号系統(太子橋~大阪駅前)が開設されました。※2

また、1974年当時の区間便では、(新)臨34号系統(大阪駅前~太子橋[1977年4月廃止])がありました。

※2: 1974年の系統一覧には臨特34号系統が「大阪駅前~守口車庫前」とあるので70年~73年にかけて太子橋より延長している。

1977年4月には天神橋六丁目~(中崎町経由)大阪駅前間が廃止となり、これに伴って34号系統が廃止されます。また、特34号系統も上図のようにループ運行を辞めて天神橋六丁目~扇町経由大阪駅前に変更しました。

翌1978年当時の区間便は、臨34A(都島本通三丁目~守口車庫前)、臨特34(天神橋六丁目~守口車庫前)がありました。(⇒どちらも1979年までに廃止)

1979年7月に入るとゾーンバスシステムが導入され、特34号系統が幹34号系統として系統変更が行われました。また、この際に経路変更が行われ、ほぼ今の形となりました。 [1982年当時の大阪駅前のりば]

[1983年当時の大阪駅前のりば]

元々の大阪駅前のりばはこのような場所にありましたが、(旧)大阪駅前バスターミナルが1983年5月1日に開設されたことにより、のりばが整備されて3番のりばに発着するようになりました。また、1997年に34号系統がリフト付きバス運行路線になった際には3番から4番のりばに変更されました。(この際に従来の4番のりばに発着していた幹57号系統は3番のりばへ変更。いわゆる2路線同士での入れ替えがあった。)

2002年にゾーンバスシステムが廃止となり幹線34号系統が34号系統になりました。 その際の経路変更はありませんでした。

[2008年当時の大阪駅前のりば] 2008年になってから再度乗り場が変更され、今のような乗り場とほぼ近い2番のりばに移設されました。 [当時の乗り場]

[奥に見えるバスシェルターが34号系統の旧乗り場]

[2018年当時の大阪駅前のりば]

2016年10月には大阪駅前のバスターミナルが再度リニューアルされたことにより乗り場が変更、もともと3番乗り場だった付近の場所に新たに9番のりばとして34号系統専用ののりばが出来ました。

そして、現在に至ります。


いかがでしたか。 当初の34号系統は難波から天六方面へと行くのが始まりだったんですね。 それに、その後の難波~太子橋を運行するとなるとかなりロングランな路線ではないでしょうか笑 それ以降も変更を何回かしながら今のような路線になったのですね~😌

では👋

さようなら京阪バス香里団地支所

こんにちは😃 京阪バス香里団地支所(営業所) は2022年3月31日をもって閉所になります。 (https://www.keihanbus.jp/news/sysimg/01051/link_hM68M.pdf)

ということで、閉所になる前に行ってきました。

香里団地支所とは?

香里団地支所は枚方市香里ヶ丘三丁目にある交野営業所の支所で藤田川(とうだがわ)交差点の角にあります。最寄りのバス停も「藤田川」になります。一応、支所という立ち位置ではあるものの「営業所」と呼ばれる場合もあります。

香里団地支所が開設されたのは1961年9月26日の事で、香里団地よりも前に設置されました。(香里団地竣工は1962年)その頃には既に香里団地付近の路線はある程度開業しており、(1958年12月に山之上~茄子作・香里ヶ丘~藤田川など) 1960年12月30日には京阪バスにとっては初のワンマン運行が香里団地線(詳しい経路は不明)で行われていました。つまりは香里団地のバス路線整備と全く同時期に支所が設置された事では無かったことが分かります。さらに、この当時は交野営業所は未開設で枚方営業所の支所となっていたようです。

実際に行ってみると・・・

f:id:Matsuda_KOTU:20220331002102j:plain 見た感じだと小さい施設で、敷地に入るとすぐに窓口があります。また、写真にはうつってませんが、施設の右側にもバスの出入口がありました。

f:id:Matsuda_KOTU:20220331002542j:plain 門には香里団地支所と書かれた木製の看板が吊り下げられていました。開設当時のものでしょうか?かなり古そうです。

f:id:Matsuda_KOTU:20220331002919j:plain 京阪バスの看板、電照式なのでしょうか? f:id:Matsuda_KOTU:20220331003538j:plain 施設の裏に行ってみました。留まっているバスの後ろには川なのですが、柵などは無いのですね。


と、無くなる前に見に行ってきました。 4月からは交野営業所が香里団地支所(営業所)の路線を担当し、約60年半という長い歴史にようやく幕を閉じます。 本当にお疲れ様でした。

では👋

大阪市営バスのあべの橋~平野は実際にどこを経由して走っていたのか?

こんにちは😃 1927年2月26日は大阪シティバスの前身である大阪市営バスが開業した日です。 初めて大阪市営バスが走った区間はというと『あべの橋~平野』なのですが、実際にどの辺りを走っていたのでしょう? f:id:Matsuda_KOTU:20220323212951j:plain <平野街道を走る市バス>

Q.どこを走っていたのか?

f:id:Matsuda_KOTU:20220323213743j:plain<あべの橋~平野開業時の路線図>

あべの橋~平野の経路はまず、天王寺駅から北にある玉造筋を入り、寺田町交差点より国道25号線へ入って杭全を経てJR平野駅からすぐ南にある大念佛寺北交差点付近までが経路となっていました。f:id:Matsuda_KOTU:20220323215129j:plain [https://bus.osakametro.co.jp/sales_office/library/sales_office/19.4.1sumiyosi_1.pdfより]

もっと分かりやすいように、大阪シティバスの路線図を照らし合わせてみると、あべの橋から30号系統(水色)で杭全まで行ってそこから1号系統(薄紫色)でJR平野駅筋停留所までということになります。ちなみに終点の平野バス停は今のJR平野駅筋バス停付近にありました。また当時は約1ヶ月程だけ平野に車庫が存在していたそうです。 よく見てみると、南河堀町、寺田町、源ヶ橋、百済、平野西口に至っては開業時の名前からそのままなんですね。🤭

当初は梅田~あべの橋間を走らせる予定だった

実は1922年頃に市営バスを走らせる計画があり、当時の市長であった池上四郎氏によって路面電車の混雑解消のための補助機関として大型バス30両で梅田~あべの橋を運行することを大阪府に打診したところ、大阪市内のバスに対しての監督方針が無いとか等で許可が降りず一時中止になりました。しかし、翌年8月に今度は民間の大阪乗合自動車(青バス)が大阪市内におけるバス運行の出願をしたところ、許可が降りて1924年7月2日に梅田~あべの橋間<堺筋経由>が開業しました。これが後に市バスと青バスが色んな路線でバチバチに火花を散らすことになります。

9号系統のルーツは市バス開業路線

では、あべの橋~平野間は今ではどの路線に継承されているのかというと、これは9号系統になります。しかし… f:id:Matsuda_KOTU:20220323233236j:plain 出戸バスターミナルから平野区役所前を結ぶ青色の路線が9号系統になります。現在はあべの橋どころか杭全すら行かない全く別物の路線となっています。これは2012年のダイヤ改正によって大きく変わってしまったのが原因です。では2012年以前の9号系統が載った路線図を見てみると…

f:id:Matsuda_KOTU:20220323234005j:plain<旧 9号系統 あべの橋出戸バスターミナル(紫色で表示)>

まさに元々の開業路線と同じ経路を走っていることが分かりますね! こうして開業路線のルーツである9号系統は形を大きく変えながら今でも運行されているのです。

では👋

かつて使われた大阪市交通局のキャラクター

こんにちは😃 今回は小ネタ的なものです。

Osaka Metroにて使用されているマスコットといえば、『にゃんばろう』という交通局の制服に扮した猫のキャラクターです。これは前身の大阪市交通局が2011年に採用したキャラクターでありました。交通局が民営化されることに合わせて一時お役御免となりましたが、しばらくしてOsaka Metroの制服にお化粧直しされた形で復活し現在でも活動しています。https://subway.osakametro.co.jp/news/news_release/20200615_nyambarou_o_sagase.php

2020年にはOsaka PointというICカード連携型ポイントサービスが開始され、そこにもキャラクター(オポたん・かどのすけ)というキャラクターが使われています。https://www.osaka-point.jp/OMS2/index_iccard202104.html

Osaka Metro関連のキャラクターではこの辺りが挙げられますが、前身の大阪市交通局では『にゃんばろう』の他にどういうものがあったのかを紹介していきます。

レインボーファミリー

f:id:Matsuda_KOTU:20220209103412j:plain 2003年~2011年に活躍したキャラクターです。つまり、にゃんばろうの前身ですね。 左からバスママ(市バス)、アカバスチャン(赤バス)、チカパパ(地下鉄)、トラムクン(ニュートラム)という名前がついていました。 このアカバスチャンのモデルになった赤バスは2002年より、2年前から一部地域で試験運行をしていた100円バスをエリア拡大させる形で本格的に運行させたコミュニティバスでしたが、レインボーファミリーが消滅して約2年で廃止されました。

モールボードのモグラ

f:id:Matsuda_KOTU:20220209110234j:plain 1990年4月より新大阪・梅田・なんば等に設置された地下鉄乗客案内情報システム、モールボードが設置されたことにより使用されていたキャラクターです。ただ、名前が付いていたのかは確認ができていません。このモグラのビジュアルは上部の他、ビデオカメラを持った姿の物もありました。現在はキャラクターどころか、モールボードすら存在しません。

ゾーンバスのリス

f:id:Matsuda_KOTU:20220209111458j:plain 1974年11月28日に運行開始されたゾーンバスの標識として使われたリスのキャラクターです。これも名前が付いていたのか確認できていません。主にバス停留所やバスのヘッドマークに使われていましたが、ヘッドマークについては1990年に開催される花博PRのために『花ずきんちゃん』が使用されはじめた(従来のリスのヘッドマークを上塗りした)ため、1990年代半ばにはあまり見られなくなりました。

ゾーンバスについてはこちらを参照↓

【前編】https://matsuda-kotu.hatenablog.com/entry/2021/08/03/145238

【後編】https://matsuda-kotu.hatenablog.com/entry/2021/08/05/151206

おしどり

f:id:Matsuda_KOTU:20220209113119j:plain 1979年7月に行われた大阪市営バスの路線再編成に伴ってバス・地下鉄乗継割引制度が開始されたことによって登場したキャラクターです。『コンビです。市バスと地下鉄』というフレーズでおしどり夫婦を模した『オシドリ』が使われていました。これも名前が存在していたのかは不明ですが、当時の共通全線定期券では、『おしどりパス』という名称で発売されていました。 バス路線図の他に地下鉄・バス乗継指定停留所、地下鉄の一部の券売機にも使用されていましたが、いつの間にか使われなくなりました。※バス路線図も1991年までには消滅。


では👋

大阪市営バスにかつて存在した『グリーンエース』とは?

こんにちは😃

ところで都市新バスシステム』はご存知ですか?

都市新バスシステムとは、都市部においての幹線道路を走る主要なバス路線の利便性を向上させるために従来のバスの運行システムを見直して再整備させることです。

具体的には、道路混雑や停留所前での路駐を抑制するために専用レーンを設置することや「バスがいつ来るのか?」をバス停が利用者に知らせるバスロケーションシステムの導入などが挙げられます。

東京都では都営バスや東急バス、愛知県では名古屋市営バス名鉄バスなどがこのシステムを導入していました。

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大阪市においても大阪市営バス(現:大阪シティバス)が『グリーンエース』としてこのシステムを導入し、主要なバス路線の利便性向上を図っていました。今回はこの『グリーンエース』はどういうものであったのかを紹介していきたいと思います。

グリーンエース導入までの背景

グリーンエースⅠの導入まで

グリーンエース導入直前(1985年)には乗客数が昭和39年の119万人の約3分の1にまで減少していました。その要因としては地下鉄などの路線開業により乗客数減ったということもありますが、自動車が急増したことで幹線道路などで混雑を起こしバスの定時運行が厳しく、しきりに遅れては交通輸送としての信頼を損なってしまったということで本来のバスとしての機能を発揮することが出来なかったことにつながります。

このため、バス路線の利便性を上げるために導入したのが『グリーンエースⅠ』という都市新バスシステムです。

一般的な施策としては、

  • バス専用レーンや優先信号機でスピードアップを図る
  • 冷暖房装置の都市型車両の導入で快適な乗り物にする
  • バスロケーションシステムの導入でバスの接近情報を知らせるとともに運行管理を行う
  • モダンなシェルターを設置し、バス停留所のイメージを一新する

これらを一体化させた施策で再び信頼される市バスとして乗客数増を図るというものでした。

 

グリーンエースは、グリーンの持つ「さわやかな暖かさ(市バスのこころ)」であり、今回の都市新バスシステム導入が復権のエースになるようにとの願いをこめて名付けられました。

第1次の都市新バスシステム導入は1986年(昭和61年)4月1日に主に今里筋を通る杭全(くまた)~守口車庫前間に導入されました。

f:id:Matsuda_KOTU:20211215072839j:image[地下鉄緑橋停留所に止まる幹線35号系統]

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[方向幕(前)]

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[方向幕(横)]

グリーンエース導入系統は幹線35号系統(守口車庫前~杭全)、幹線35A号系統(守口車庫前~地下鉄今里)、幹線85号系統(なんば~杭全)に導入されました。幹線85号系統ではグリーンエース区間に入ると自動的に上の背景がの幕に変わり、区間外になると一般バス路線で走る背景が白い幕になる仕様となっていました。

そのほか設備面では杭全~今市(いまいち)間に優先信号、地下鉄今里~杭全間に専用レーンが設置。グリーンエース内にある停留所はバスロケ化が進み〝バスを待つイライラを少しでも無くすため〟に接近表示器の付いた電照式のバス停のものに取り替えられました。(ただし、バスロケーションシステム導入はこれが初めてではない)

f:id:Matsuda_KOTU:20211216065953j:image[ポール型の電照式標柱に付く接近表示器]

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[シェルター型のバス停に付く接近表示器(現在撤去)]

先程の緑橋に止まるバス車両(いすゞキュービック)には冷・暖房装置が付いてあり、低床かつ広幅扉が採用されています。

 

グリーンエースⅡの導入

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1986年に導入されたグリーンエースⅠはバスのスピードアップと定時運行が図れたことにより1988年(昭和63年)4月27日に大正区内でもグリーンエースⅡとして導入されることになりました。範囲は地下鉄桜川~大運橋・鶴町四丁目間で大正橋~大運橋間を走る大正通は総合交通対策として市バスが路駐車両の影響を受けずスムーズに運行できるように車線構成の見直しを行い、朝ラッシュ時間帯のみだったバス専用レーンが朝5時~深夜1時までと大幅に延長しました。これにより平日の※大正橋発鶴町四丁目方面行きの終発時刻が23時25分より23時59分へ延長することができました。(この見直しで大正橋の折り返しも可能になる)

 

※この他、幹臨71A号系統(戎橋~大正橋経由・鶴町四丁目)の戎橋停留所終発時刻は、23時48分であった。

 

さらに、グリーンエースⅠと同様に風防付きのシェルター型バス停が設置されバス接近表示器も取り付けられました。

f:id:Matsuda_KOTU:20211216072700j:image[シェルター型バス停の接近表示器]

実施系統は幹線70号系統(なんば~鶴町四丁目)、幹線70A号系統(大正橋~西船町)、幹線76号系統(地下鉄住之江公園~九条車庫前)、幹線臨98号系統(新千歳~なんば)などに導入されていました。

また、1992年(平成4年)3月には、なんば~地下鉄桜川間にも都市新バスシステムの実施範囲を広げました。

 

グリーンエース廃止とその後…

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2000年(平成12年)5月20日の九条営業所廃止時にはグリーンエースの緑幕を白幕に統合させたため、緑幕及びグリーンエースの愛称は廃止になりました。

しかし、グリーンエース時代の名残は今もなお残り続けています。大正通のバス専用レーンは現在も残存のほか、特にシェルター型のバス停は主に大正通沿いの停留所で未だ健在です。

f:id:Matsuda_KOTU:20211216132024j:image[大正橋停留所]

f:id:Matsuda_KOTU:20211216132122j:image[鴫野駅前停留所(大阪市営バス時代に撮影、なお大阪シティバス移管後も残存)]

また、大正通沿いにある停留所にはバス接近表示器も当時と型は違いますが、これも残っています。

f:id:Matsuda_KOTU:20211216132317j:image[鶴町四丁目のバス接近表示器(大阪市営バス時代に撮影、なお大阪シティバス移管後も残存)]

 

つまりグリーンエースは路線の種別としては、一般バス路線と比べて主要な幹線道路でのバス路線が交通事情により脅かされていたことから、利便性向上のために優先して対策が行われていた区間ということです。大阪シティバスの路線図には大正区付近を見ると70や71、91号系統など多くの線が連なった部分があり、大正駅(大正橋停留所)以南からは小林・鶴町地区と地下鉄が通らない大正通を走るバス路線が、このグリーンエースⅡという道路の見直しがあったことで利便性が上がり、今もなお残り続けているのでしょう。

そして、今も何らかの形で残り続けています。

 

では👋

【大阪シティバス路線の歴史01】56号系統

こんにちは😃

今回からは新企画…

それも、『大阪シティバス路線の歴史を探る』です。まずは第1回として56号系統についてスポットライトを当てていきたいと思います。

 

56号系統について

f:id:Matsuda_KOTU:20211126215045j:image[大阪市営バス時代]

f:id:Matsuda_KOTU:20211126073512j:image[2021年現在の経路図、停留所は経由地のみ表記(以下同じ)]

 

56号系統(大阪駅前~酉島車庫前)は、大阪駅を南下し梅田新道より国道二号線に入って阪神とJRの高架辺りで離れ、そこから大阪メトロ千日前線玉川駅大阪環状線ゆめ咲線の西九条駅などを経て此花区の島屋までを西に進み、そこから北上し大阪シティバス酉島営業所のある酉島車庫に至る路線です。復路に至っては桜橋より北上して大阪駅前に入るため、梅田新道は通りません。

では、初代の56号系統から現在の56号系統までの移り変わりを見ていきましょう。

f:id:Matsuda_KOTU:20211125235804j:image[1955年春頃・黒丸(●)は運賃区数境界停留所※1]

56号系統は1954年12月11日に新設。戦後の此花区に初めてバス路線が走った当時の43号系統(大阪駅前~福町循環)に次いで新設された路線であり、酉島地区にバスが走ったのも1938年5月以来のことです。現在の路線と比べても差程違いはありません。しかし、見知らぬ停留所がポツポツとありますので、これは後の路線図にて紹介していきます。☺️

 

※1 運賃区数境界停留所とは、当時の大阪市営バスがバス運賃を均一制でなく区間制(原則1区・2区)で取っていたため、このように運賃区間の境界を停留所に設けていました。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126001026j:image[1955年秋頃]

そして1年もしないうちに大阪駅北口より天六へと延長。今では天六止まりなど無いですが、かつては天六操車場が存在したので天六の発着もおかしい話ではありませんでした。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126002153j:image[1970年頃]

1970年に入ると酉島地区に動きがあり、酉島町~此花工高前(→此花総合高校前を経て現在は酉島小学校)を循環する経路に変わりました。この経路の途中に酉島住宅前と酉島町五丁目(現:酉島五丁目)があり、おそらく折り返し含めて2度停車(停車箇所は異なる)していたのかと思われます。

なお、この後にバス運賃は距離区間制から現在の均一制に変更されました。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126081437j:image[1978年頃]

1976年にはゾーンバス(幹線・支線)制度エリアを拡大させるために各地に路線を新設する動きがあり、56号系統にも56支号系統(後に支線56号系統)が1976年7月に新設。酉島から少し西に延びました。1977年には臨56号系統(野田阪神前~酉島)が新設されていましたが、1978~79年の間に廃止されました。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126090731j:image[1979年8月頃]

1979年7月22日により大規模なダイヤ改正を実施、既存の56号系統は幹線56号系統に改番し、一部は幹線59号系統(大阪駅前~西九条・伝法経由 酉島)として新設し、分割されました。この幹線59号系統は現在の59号系統の原型ですね。支線56号系統は特に変わりはありません。

また、隠れた路線として特56号系統(常吉二丁目→西九条)が存在していました。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126091936j:image[1989年秋頃]

支線56号系統は北港ヨットハーバーへ延長、後に幹線56号系統も野田阪神前から地下鉄玉川までを吉野二丁目に迂回する経路へ変更されました。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126093307j:image[1994年4月頃、黒丸(●)は幹線・支線境界停留所]

1994年春頃には幹線56号系統が廃止(路線図記載無し)、56号系統自体が野田阪神前に来ることが無くなってしまいました。これらを見てみると大阪駅前、野田阪神前、西九条と徐々に西へ短縮されていることが分かります。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126093758j:image[1994年12月頃]

1994年12月に春日出営業所が廃止(酉島営業所に移転)されたことに伴い、此花区エリアで大規模なダイヤ改正が行われました。この際に支線56号系統は支線59号系統に改番されることになります。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126094121j:image[2000年頃]

2000年4月頃に北港ヨットハーバーから常吉大橋を渡って舞洲、さらに此花大橋を渡って桜島駅に延長され、2度も大きな橋を渡る路線に変わりました。なお、酉島住宅前から此花区役所にかけては島屋経由から伝法経由に変更されました。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126114341j:image[2004年頃]

2001年にユニバーサル・スタジオ・ジャパンが開園したことに伴って56号系統も桜島駅前から延長されました。その際に酉島住宅~此花区役所間は再び島屋経由に戻されることになりました。そして、2002年1月27日にゾーンバス制度が廃止。幹線・支線という区分けは無くなり特56号系統は56号系統に改番されました。

さらに、幹線79号系統(酉島車庫前~大阪駅前)が56A号系統として改番されることになります。また、入出庫路線であった56B号系統(酉島車庫前~西九条)も2004年にはありましたが、どの時期にあったのかは不明です。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126113756j:image[2021年現在]

56号系統(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン~西九条)が2008年3月で廃止され、常吉大橋を通るバス路線は無くなりました。59Bについても2010年に廃止、56Aは(新)56号系統に改番し、現在に至ります。

つまり…現在の56号系統は、元々のルーツが79号系統だったということになりますね~😃

 

まとめ~

初めての路線変遷紹介でありましたが、いかがでしたでしょうか?

56号系統は特に1990年から2000年にかけて経路変更が際立っていたように思います。

大阪シティバス路線の歴史』は今後も続けていきますので、ぜひご期待ください😊

 

では👋

タウンカードとレインボーカード

こんにちは😃

皆さまが鉄道を利用する場合では、大体はICカードを使われる事が多いかと思います。関東ではSuicaPASMO(どちらもモバイル含め)、名古屋ではmanacaTOICA、近畿ではICOCAPiTaPaでしょう。

しかし、時をさかのぼってみればICカードがない頃だと、関東であればパスネット(PASMO普及に伴い廃止)、近畿であればスルッとKANSAIの磁気カード(ラガールカードパストラルカード等)が主流でした。

また大阪市交通局ではレインボーカード、そしてそのまた昔に普及していたタウンカードというものが存在していました。

今回は2つのカードを紹介しつつ、その違いなども見ていきます。

 

タウンカード(Town Card)

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タウンカードとは、大阪市交通局が1988年3月1日に発売したプリペイド(前払い)式磁気カードのことです。これは、切符売り場の発券機で現金を使わずにカードを投入して切符を購入するという革新的なものでした。類似するものだと、テレホンカード(公衆電話に現金を入れず、カードを差し込むと通話ができる)のような存在でしょうか。

f:id:Matsuda_KOTU:20211117202958j:image[タウンカードのご利用方法。後には精算機での乗り越し時にも利用できるようになる]

元々は国鉄が発売したオレンジカードから始まり、関西圏の私鉄では近鉄が1986年10月にパールカードとして発売していました。

なお、切符売り場で買えるタウンカードは地下鉄マークと10系車両を組み合わせたデザインのみの発売で、1000円・2000円・3000円券のみの販売でした。

f:id:Matsuda_KOTU:20211117204758j:image[券売機で発行されるタウンカード]

それ以外のデザインであれば、定期券発売所やカード取扱い券売機センター付近の売店にて発売されており、こちらは上記の金額券以外に500円券が発売されていました。

しかし、1996年2月1日にレインボーカードが発売されることに伴って前日の1月31日に販売終了となってしまいました。(終了時にはそのまま利用できる上、券売機にて同額のレインボーカードと交換することができた。[現在は不可])

f:id:Matsuda_KOTU:20211117205520j:image[記念タウンカード]

f:id:Matsuda_KOTU:20211117210012j:image[再発行タウンカード(券売機発売)]

 

 

レインボーカード(Rainbow Card)

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レインボーカードとは大阪市交通局が「スルッとKANSAI」加盟に伴い発売されたプリペイド式カードです。

こちらは従来のタウンカード同等の利用ができるほか改札機にそのまま通して精算するスタイルで、まさに現在のICカードさながらのモノでした。当初は1996年2月1日に発売開始、ただ発売当初はスルッとKANSAIのシステムが未導入だったため〝タウンカードと同様に券売機で切符すること〟しかできず、本格的にカードとしての機能が使えたのは1ヶ月後の3月20日のことでした。

f:id:Matsuda_KOTU:20211117221840j:imagef:id:Matsuda_KOTU:20211117222457j:image[レインボーカードのご利用方法]

大人: 1000円・2000円・3000円・5000円券

小児: 500円・1000円券

f:id:Matsuda_KOTU:20211117224239j:image[券売機以外で購入できる記念レインボーカード]

後にはポストペイ(後払い)式ICカードPiTaPaが登場した傍らでも継続して発売していたものの、2008年に偽造レインボーカード(だいどう豊里の豊が豐になっていた等)使用問題があったものの対策を講じる形になりました。

f:id:Matsuda_KOTU:20211117224317j:image[対策後のレインボーカード(背景に局章(ロゴ)が付いている)]

結果的にはPiTaPaに1本化した形で2017年3月31日に発売終了、翌年の1月末に利用終了しました。

 

2つのカードの違いとは?

先述した通り、タウンカードはあくまで切符売り場で切符を購入するためのカードです。

レインボーカードはこれのみならず、切符に変えることなく改札機に通して乗降することのできるカードです。

これらの違いは主に次の通りです。

 

  • タウンカード

1.バス車内での精算時に使えるか? 

→使えない

2.カード再発行までの印字回数

30回まで(超えると乗り越し等での精算機で使用できず、券売機にて再発行となる)

3.使用中での払い戻し(利用可能当時)

→できない

4.印字の表示場所

表面

5.他社線利用

→切符を購入すれば可能

 

  • レインボーカード

1.バス車内での精算時に使えるか? 

使える

2.カード再発行までの印字回数

21回まで

3.使用中での払い戻し(利用可能当時)

→できない(ただし、間違えて入口の改札機を通してしまった場合は記録を取り消す事は可能)

4.印字の表示場所

裏面

5.他社線利用

スルッとKANSAIの利用区間であれば、改札機を通して乗り降り可

 

終わりに~

タウンカードやレインボーカードではこれほどの違いがあるのです。😌

また当時ではどちらもデザインをオーダーメイド出来たりメッセージを追加できたりとプレゼント用として購入することもできたようです。

それに記念用のカード(上記に挙げたもの)も多く発売され、当時のバスまつりなどにおいてはキットとして出していた事もあって収集家にとってはさぞ嬉しかったことでしょうね笑☺️

とはいえ、このような磁気カードがあったからこそPiTaPaなどのICカードに進化し便利になりつつある中、今後はどのような決済方法が登場するのか気になるばかりです。

 

では👋