マツダ交通の見たまま

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大阪市営バスのゾーンバス制度って結局何だったのか?【後編】

こんにちは😃

今回は後編になります。

大阪市営バスのゾーンバス制度って結局何だったのか?【前編】 - マツダ交通の見たまま

↑前編はこちらからどうぞ

 

全地区でゾーンバス制度導入へ

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平野・東住吉エリアでゾーンバス制度が始まった(1974年)ことで2年後に出戸バスターミナルが開設したのですが、実は経営難とあって進行中であった地下鉄延伸工事があるために頓挫せず何とか建て直したいという背景がありました。

そこで大阪市「ライド・アンド・ライドシステム」という〝バスや地下鉄などの公共交通機関の乗り継ぎ(割引)制度を核にした交通体系を確立させる〟施策を打ち出しました。これを行うことで「自動車(マイカー)を使わずとも公共交通機関を乗り継ぐことで快適に早く目的地に着ける」という利点がありました。また、乗り継ぎを円滑化させるために適当な箇所にバスターミナルを設置させる方針も固めたのです。

この頃の地下鉄は大阪万博への頑張りもあってか大阪市中心部は潤っている状態であり、バスとを乗り継がせるには充分でした。

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バス事情では一部で最先端のゾーンバスを導入しているうえに最先端のバスターミナルを開設しているので、これらを全て絡めた大阪市内の公共交通機関の見直しが行われました。

f:id:Matsuda_KOTU:20210804150828j:image[1979年7月バス路線再編成実施の内容、影響としては中央線深江橋~阿波座と重複していた90号系統(高井田※1~森ノ宮駅前~川口1~野田阪神前)が廃止]

※1:高井田新深江駅より少し東にある現在86号系統のみが停車する停留所。(地下鉄の高井田とは関係ありません😅)

1979(S.54)年7月22日、この大規模なバス再編成とゾーンバスシステムの範囲を一気に広げたうえ、地下鉄・バス乗り継ぎ割引制度(地下鉄・バス乗り継ぎ指定停留所を設置)が実施された事で本格的に計画が施行されました。(ちなみにゾーンバスの範囲拡大は1978年頃から先行で行われていた)

f:id:Matsuda_KOTU:20210804171702j:image[あべの橋に設置された地下鉄・バス乗継指定停留所の看板。見えづらいが、「バス 地下鉄乗継停留所」と書いてある。ここでは地下鉄天王寺駅が最寄りの停留所として指定されているために乗継割引が適用されるが、北隣の天王寺西門前は適用されない。]

f:id:Matsuda_KOTU:20210804153754j:image[開設された歌島橋バスターミナル(現在は閉所)]

f:id:Matsuda_KOTU:20210804154016j:image[歌島橋バスターミナル開設当時の行先別 出発時刻表示盤]

乗り継ぎを効率良くするためのバスターミナルの設置も1981(S.56年)年3月3日に歌島橋バスターミナル同年12月5日に北巽バスターミナルと続々開設され、ライド・アンド・ライドシステムが完全に機能されたのです。

つまり、出戸バスターミナル乗り継ぎターミナル設置への試金石だったのですね。

そして、地下鉄・バス乗り継ぎやバスターミナルがあったのも、この〝ゾーンバスがあったから〟なのです。

f:id:Matsuda_KOTU:20210804155206j:image[接近表示機付きのあべの橋バス停]

余談になりますが、バス優先の専用レーンも範囲を広げ、バス優先信号の設置、バスロケーションシステム(接近表示付きのバス停)を設置したことで、多くの路線での定時性の確保やバス待ちでの問題解消にも携わりました。

 

複雑さが増したゾーンバスの実態

f:id:Matsuda_KOTU:20210804160235j:image[ゾーンバス制度とは無縁の一般系統の方向幕]

f:id:Matsuda_KOTU:20210804163756j:image[かなりややこしい特系統の方向幕]

 

1979年にゾーンバス実施エリアが拡大したのは良かったものの、逆に返って複雑になりました。それが、新たに区別された一般系統特系統というものです。

一般系統は幹線・支線という区別がそもそも無いので、たとえ乗り継ぎ指定停留所に降りて乗り継ぐことはできません。まぁ、これはまだ分かります。

問題は特系統なのです。

特系統というのは、幹線・支線区間をそのまま直通で運行する系統路線です。幹線から支線の乗り継ぎは降車しなければいけないので手間はかかりますが、これに乗るとそのまま乗り継ぐことが出来ます。しかし、これには罠がありました。

f:id:Matsuda_KOTU:20210804180038j:image[1985年当時の路線図]

例えば、特6号系統で美章園(左上)に乗車し、南下した先にある乗継指定停留所の湯里六丁目(右下)幹線4号系統に乗り継ぐ場合ですが、何故かこれはできません。

理由としては、特系統には幹線・支線境界停留所というものが設けられています。この路線図でいえば、美章園~中野中学校前は幹線区間なので実線(―)中野中学校前~湯里六丁目は支線区間なので破線(---)で表されています。

つまり、幹線と支線の境界は「中野中学校前」であるため、幹線区間美章園から乗車し、境界の中野中学校前を〝超えて〟支線区間の湯里六丁目に降車することは、〝自動的に幹線・支線に乗り継いで降車した〟と見なされるため、いくら乗り継ぎ指定停留所で降車したとはいえ乗り継ぐことはできません。

f:id:Matsuda_KOTU:20210804182234j:image[当時の路線図案内には、特系統の取り扱いは記載されていない]

結果的に特系統を利用する際には幹線あるいは支線区間のみの利用であれば、乗り継ぎは可能でしたが、このようなケースは利用される方にもなかなか認知がされていませんでした。

それに従来の乗継指定停留所の存在も相まったことで余計に自由が利かない使いにくさが問題視されました。結局、ゾーンバス制度が廃止になったのは2002(H.14)年5月20日コミュニティバス路線の見直しで赤バスが本格的に運行開始に合わせて行われました。

しかし、この時の変更内容は新たなバス乗り継ぎ割引制度の実施〝乗るバスにこだわらず、幹線・支線などという区別を無くす〟というもの。ただ、まだ乗り継ぎ指定停留所の制度はしばらく残っていました。しかしこれも2005(H.17)年の12月頃に地下鉄・バス乗り継ぎ割引の変更に合わせて廃止になりました。現在の〝一度目の降車から乗り継いで降車するまで90分以内〟であればバス乗り継ぎ割引が適用されるというスタイルになりました。

 

さらにはゾーンバス制度が廃止されたことでバス路線の幹線・支線・特などが廃止になったため、全て系統番号が数字のみになりました。

  • 幹線1号系統→1号系統
  • 1号系統→101号系統

特にこの1号系統となればゾーンバス制度中は幹線1号系統と1号系統の2つの系統があったので、誤解を招かないためにも敢えてできるだけ馴染みのある番号にしました。

 

総評

ゾーンバスとは、現在の交通機関の乗り継ぎ割引体系の確立と円滑な輸送を図るためのターミナル整備に係るに欠かせない存在だったのです。

ただ、やはりルールが複雑かつ厳格すぎたことからゾーンバス自体は無くなってしまいましたが、改善があって今のような自由の利く割引制度などが出来たのだと思います。ある意味、名残ですね笑

今では乗継券すら無くなり、回数カードかPiTaPaICOCAを初めとしたICカードでの割引制度と移り変わりましたが、今度はどのように派生していくのか気になるばかりです。

 

では👋