マツダ交通の見たまま

主に大阪シティバスの小ネタや歴史をディープに掘り下げる考察系ブログです。

【大阪シティバス路線の歴史01】56号系統

こんにちは😃

今回からは新企画…

それも、『大阪シティバス路線の歴史を探る』です。まずは第1回として56号系統についてスポットライトを当てていきたいと思います。

 

56号系統について

f:id:Matsuda_KOTU:20211126215045j:image[大阪市営バス時代]

f:id:Matsuda_KOTU:20211126073512j:image[2021年現在の経路図、停留所は経由地のみ表記(以下同じ)]

 

56号系統(大阪駅前~酉島車庫前)は、大阪駅を南下し梅田新道より国道二号線に入って阪神とJRの高架辺りで離れ、そこから大阪メトロ千日前線玉川駅大阪環状線ゆめ咲線の西九条駅などを経て此花区の島屋までを西に進み、そこから北上し大阪シティバス酉島営業所のある酉島車庫に至る路線です。復路に至っては桜橋より北上して大阪駅前に入るため、梅田新道は通りません。

では、初代の56号系統から現在の56号系統までの移り変わりを見ていきましょう。

f:id:Matsuda_KOTU:20211125235804j:image[1955年春頃・黒丸(●)は運賃区数境界停留所※1]

56号系統は1954年12月11日に新設。戦後の此花区に初めてバス路線が走った当時の43号系統(大阪駅前~福町循環)に次いで新設された路線であり、酉島地区にバスが走ったのも1938年5月以来のことです。現在の路線と比べても差程違いはありません。しかし、見知らぬ停留所がポツポツとありますので、これは後の路線図にて紹介していきます。☺️

 

※1 運賃区数境界停留所とは、当時の大阪市営バスがバス運賃を均一制でなく区間制(原則1区・2区)で取っていたため、このように運賃区間の境界を停留所に設けていました。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126001026j:image[1955年秋頃]

そして1年もしないうちに大阪駅北口より天六へと延長。今では天六止まりなど無いですが、かつては天六操車場が存在したので天六の発着もおかしい話ではありませんでした。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126002153j:image[1970年頃]

1970年に入ると酉島地区に動きがあり、酉島町~此花工高前(→此花総合高校前を経て現在は酉島小学校)を循環する経路に変わりました。この経路の途中に酉島住宅前と酉島町五丁目(現:酉島五丁目)があり、おそらく折り返し含めて2度停車(停車箇所は異なる)していたのかと思われます。

なお、この後にバス運賃は距離区間制から現在の均一制に変更されました。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126081437j:image[1978年頃]

1976年にはゾーンバス(幹線・支線)制度エリアを拡大させるために各地に路線を新設する動きがあり、56号系統にも56支号系統(後に支線56号系統)が1976年7月に新設。酉島から少し西に延びました。1977年には臨56号系統(野田阪神前~酉島)が新設されていましたが、1978~79年の間に廃止されました。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126090731j:image[1979年8月頃]

1979年7月22日により大規模なダイヤ改正を実施、既存の56号系統は幹線56号系統に改番し、一部は幹線59号系統(大阪駅前~西九条・伝法経由 酉島)として新設し、分割されました。この幹線59号系統は現在の59号系統の原型ですね。支線56号系統は特に変わりはありません。

また、隠れた路線として特56号系統(常吉二丁目→西九条)が存在していました。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126091936j:image[1989年秋頃]

支線56号系統は北港ヨットハーバーへ延長、後に幹線56号系統も野田阪神前から地下鉄玉川までを吉野二丁目に迂回する経路へ変更されました。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126093307j:image[1994年4月頃、黒丸(●)は幹線・支線境界停留所]

1994年春頃には幹線56号系統が廃止(路線図記載無し)、56号系統自体が野田阪神前に来ることが無くなってしまいました。これらを見てみると大阪駅前、野田阪神前、西九条と徐々に西へ短縮されていることが分かります。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126093758j:image[1994年12月頃]

1994年12月に春日出営業所が廃止(酉島営業所に移転)されたことに伴い、此花区エリアで大規模なダイヤ改正が行われました。この際に支線56号系統は支線59号系統に改番されることになります。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126094121j:image[2000年頃]

2000年4月頃に北港ヨットハーバーから常吉大橋を渡って舞洲、さらに此花大橋を渡って桜島駅に延長され、2度も大きな橋を渡る路線に変わりました。なお、酉島住宅前から此花区役所にかけては島屋経由から伝法経由に変更されました。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126114341j:image[2004年頃]

2001年にユニバーサル・スタジオ・ジャパンが開園したことに伴って56号系統も桜島駅前から延長されました。その際に酉島住宅~此花区役所間は再び島屋経由に戻されることになりました。そして、2002年1月27日にゾーンバス制度が廃止。幹線・支線という区分けは無くなり特56号系統は56号系統に改番されました。

さらに、幹線79号系統(酉島車庫前~大阪駅前)が56A号系統として改番されることになります。また、入出庫路線であった56B号系統(酉島車庫前~西九条)も2004年にはありましたが、どの時期にあったのかは不明です。

f:id:Matsuda_KOTU:20211126113756j:image[2021年現在]

56号系統(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン~西九条)が2008年3月で廃止され、常吉大橋を通るバス路線は無くなりました。59Bについても2010年に廃止、56Aは(新)56号系統に改番し、現在に至ります。

つまり…現在の56号系統は、元々のルーツが79号系統だったということになりますね~😃

 

まとめ~

初めての路線変遷紹介でありましたが、いかがでしたでしょうか?

56号系統は特に1990年から2000年にかけて経路変更が際立っていたように思います。

大阪シティバス路線の歴史』は今後も続けていきますので、ぜひご期待ください😊

 

では👋