マツダ交通の見たまま

主に大阪シティバスの小ネタや歴史をディープに掘り下げる考察系ブログです。

【大阪シティバス路線の歴史03】45号系統

こんにちは。 今回は大阪シティバスの歴史シリーズ第3弾。 45号系統を紹介しようと思います [諸口四丁目北に停車するバス]

45号系統は都島区にある総合医療センター前から住宅地が密集する関目・古市などの細い道を通って、鶴見緑地の北西から南西へ縫うように通り最後には鶴見区の諸口地区をグルッと一周する路線です。 主要な駅などといった場所はあまり通らないため、便数はそれほど多くありません。 (https://bus.osakametro.co.jp/sales_office/library/sales_office/20230401_moriguchi.pdfより) それではどのようにしてこんな路線の形になったのか紹介していきます。

実は意外と新しい路線

これまで56号系統や34号系統を紹介してきましたが、大体は1950年代と古めな路線がほとんどであり45号系統もそれらの番号の中に入るため同時期に作られた路線かというと実は違います。(あとで後述します) 現在の45号系統のルーツである支線45号系統は新森公園前~放出東一丁目として1979年11月5日に開設されました。元々の45号系統は大阪港〜境川肥後橋大阪駅前(1950年開設)という路線でしたが1969年頃に廃止され、しばらく「45号」は空き系統となっていましたが、1979年にこの路線ができた事で改めてこの番号が使われることになりました。

この当時から既に主要な駅などは通らず住宅などを通る地方系の路線となっていますね。 また「榎本小学校前」と、後で出る「放出大橋」は以前の28号系統(天満橋〜放出駅前・徳庵橋)、今津北三丁目は71号系統(西諸口【現:鶴見区役所前】〜緑一丁目)、今津橋はその両系統が通っていましたが1979年7月までには廃止になっており、同年11月の45号系統開設によって停留所が復活したことになります。 21号系統の東中浜公園バス停みたいなものですね。

1984年4月に特45号系統となり、起点を新森公園前より古市車庫前へと延長経路変更、放出地区でも経路変更が行われ、榎本小学校前方面には行かずに真逆の寝屋川大橋方面から放出住宅へと一周する経路になりました。この時に放出大橋停留所も復活することになります。 なお、古市車庫前〜新森二丁目は幹線区間、新森二丁目〜放出住宅前は支線区間でした。

1988年には途中区間の経路変更が行われ、鶴見商業高校前と鶴見緑地西停留所が新たに開設され緑四丁目へ北上する経路になります。 これにより緑中学校前は廃止になりました。 〈長吉長原東三丁目おりばバス停で使われている当時の鶴見商業高校前のバス停(現在残っているかは不明)〉 1994年3月31日の路線再編によって一部区間と重複していた支線26号系統(地下鉄都島〜新森七丁目東)と統合することとなり、特45号系統から再び支線45号系統として運行されます。(※)

また放出方面には行くことは無くなり、既に作られていた横堤バスターミナルに乗り入れすることになります。

※当初の支線45号系統は横堤バスターミナル~地下鉄都島という路線で、後に地下鉄都島から総合医療センター前に延伸されたという情報がありますが、こちらでは発見する事ができなかったため敢えて記述していません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると幸いです。

2002年のゾーンバス制度終了に伴って経路変更は行わないまま系統番号を支線45号系統から45号系統に変更されました。 2007年に花博記念公園北口停留所が総合医療センター前行きのみに開設されます。 2013年4月1日には横堤バスターミナルが廃止になり、構内に乗り入れられなくなったことで鶴見通沿いに「地下鉄横堤」と改称した上で移設。 2011年に廃止になった鶴見バス停〈北側〉(赤バス鶴見ループ〈イオンモール向かいに存在〉)を転用する形で復活、鶴見緑地公園前・鶴見区役所前の片側を廃止する形でループ運行となりました。 (当時の方向幕) しかし、この形も1年間しか存在せず2014年4月1日のダイヤ改正で経路変更となり、2013年に廃止された赤バスの路線である鶴見ループの今津諸口橋、諸口二丁目、諸口四丁目、諸口四丁目北を復活させる形でループ運行となりました。 これまで横堤バスターミナルがあったことで、今津橋方面までには行きませんでしたが、約20年ぶりに復活というわけです。 また、この際に総合医療センター前〜花博記念公園北口間の区間便として45A号系統が新設されています。

実際、他の路線とは違って歴史はまだ浅いですが、幾度の経路変更があるのは面白いと思い紹介させていただきました。

では👋