マツダ交通の見たまま

主に大阪シティバスの小ネタや歴史をディープに掘り下げる考察系ブログです。

大阪市営バス懐かしの終点 布施三ノ瀬

お久しぶりです。 今回は大阪市営バスで2013年まで存在した終点。「布施三ノ瀬(ふせさんのせ)」について紹介していきたいと思います。

なぜこんな場所に?

Google マップ

布施三ノ瀬は現在12号系統が通る小路東五丁目バス停から東に行くと大阪府道172号線と交差し、そこから左に向けば小路東六丁目バス停がありますが、曲がらずそのまま直進し1つめの信号の手前に布施三ノ瀬のバス停がありました。 2013年3月末に廃止となっており、約10年経った今では跡地らしきものは見当たりません。 ところで、なぜこんな場所に終点があったのでしょうか?

[支所時代の布施三ノ瀬操車場]

実は布施三ノ瀬のバス停から南に行くと「布施三ノ瀬操車場」というのがありました。

簡単に言えば車庫ですね。 この操車場の存在が「布施三ノ瀬」が終点だったルーツになっています。

布施三ノ瀬の歴史をひもとく・・・

はじめて布施三ノ瀬にバス路線が来たのは今から100年近く前の1928年8月31日までにさかのぼります。 今里から東に進み岸田堂へ、そこから南下し八尾方面に向かう東大阪乗合自動車というバス会社が存在していました。 その後、後に大阪市営バスとのライバルであった大阪乗合自動車(通称:青バス)1932年5月に東大阪乗合自動車の路線を譲受しました。 その当時、「布施三ノ瀬」のバス停があったかどうかは不明ですが、1936年1月当時には布施三ノ瀬の車庫(当時は大阪乗合自動車 布施営業所→後の操車場)と、布施三ノ瀬のバス停が存在していたようです。 1940年6月1日に大阪乗合自動車が大阪市営バスに事業統合されると、布施営業所は大阪市営バスの営業所として引き継がれ、布施三ノ瀬停留所もこの時に大阪市営バスのバス停となりました。 また、当時の布施営業所は後の布施三ノ瀬操車場よりも建物の南側や道路の向かい側にも敷地が存在しており、約2倍の広さでした。

〈青バス統合間もない頃の布施三ノ瀬周辺の路線※1945年8月までには全路線が休止(実質上の廃止)〉

戦後は布施営業所が一度閉鎖したもののすぐに再開し、1957年9月に生野営業所へ移転するまで使われていました。 生野営業所へ移管されたあとは布施営業所は廃止となり、布施三ノ瀬操車場として転身します。あくまで操車場だからなのか、この頃には敷地が約半分になったようです。 当時の布施三ノ瀬発着路線は1979年まで20号系統と21号系統が乗り入れていました。 〈1976年当時の路線図〉

ゾーンバス制度による路線変更と布施支所

ゾーンバス制度が始まったことで20号系統は廃止し、21号系統は幹特21号系統(特21号系統に番号変更した後、1984年に廃止)になりました。 〈1981年当時の路線図〉

1980年7月には特12号系統(あべの橋~布施三ノ瀬)が新設し、これが後に現在の12号系統の形になります。 [特12号系統の方向幕]

1981年3月には布施から移転された生野営業所が閉鎖になったことで、布施三ノ瀬操車場にも動きがあり、翌月の4月13日には新たに東成営業所布施支所として開設されます。 しかし、1987年5月31日に閉所となり再び布施三ノ瀬操車場に戻りました。

バス停、操車場もろとも廃止へ…

〈1994年当時の路線図〉 〈2008年当時の路線図〉 〈2013年4月当時の路線図〉

布施支所が閉所した後も布施三ノ瀬操車場として機能し、布施三ノ瀬発着路線も晩年には12号系統のみとなっていました。 2013年4月1日のダイヤ改正で長きにわたって存在してきた布施三ノ瀬操車場は廃止、布施三ノ瀬停留所も廃止になりました。

布施三ノ瀬が終点だったのは事業者をまたいで存在した操車場の存在が大きかったのかもしれませんね。

では👋