マツダ交通の見たまま

主に大阪シティバスの小ネタや歴史をディープに掘り下げる考察系ブログです。

豊中の街を走った大阪市営バス

こんにちは😃 大阪市営バスがかつて豊中市に乗り入れていたことはご存知ですか? Twitterなどでたまにですが「豊中まで市バスが走っていた」という事を話されているのを見かけます。 今回は市バスが豊中に乗り入れていた路線を紹介していこうと思います。

豊中 [起点の大阪駅前を出発する市バス(資料提供:市場氏先輩F氏)]

豊中線は1960年4月20日に開設された路線で、あべの橋より、なんば、大阪駅の主要ターミナルを回って淀川・神崎川を超えて豊中駅までに至る路線です。系統番号は111号系統として運行していました。 [開業当時の経路]

主要ターミナルの乗り場

あべの橋(豊中方)「アポロ座前(現:アポロビル前)」

・なんば(豊中方)「新歌舞伎座前(現:ホテルロイヤルクラシック大阪前)」

・なんば(あべの橋方)「南街会館前(現:なんばマルイ前)」

大阪駅前(豊中方)「駅東口(現:34号系統乗り場付近)」

大阪駅前(あべの橋方)「阪急百貨店前(34号系統乗り場付近の向かい側)」

大阪駅前に至ってはロータリーには入らず国道176号線を沿うだけになっています。 また、豊中停留所の乗り場・降り場ですが豊中駅バスロータリーには入ることなく少し離れた豊中本町南交差点の東側にありました。 ここから先の右側に豊中駅東第2駐車場がありますがそちらが市バスの転回場だったようです。 [豊中駅付近を走る市バス(大阪のあしより)]

路線の変遷

そもそも豊中線が出来た経緯としては、豊中市から大阪市内への交通手段は阪急宝塚線と阪急バスのみであり、ラッシュ時においては相当混雑するため他の交通手段を設置して改善を成したかった豊中市大阪市に対して大阪市営バス豊中方面への延長要請があったことが始まりでした。大阪市は1953年11月に豊中市への路線延長の免許申請を行い、後に聴聞会・公聴会が開かれました。 しかし、経路が重複する阪急バス側の反発と豊中バス(阪急とは全く無関係の新規会社)の申請があったことで協議が難航しました。結局は豊中バスの申請は棄却し、阪急バスの要望事項(市バスの運行本数制限・阪急バス梅田乗り入れ本数を30本増加)を合意する形で、豊中まで1日30回以下での制限付きの運行が実現しました。 郊外路線(他区間系統)だということで、市内線(当時は区間制のため111号系統の市内線は大阪駅前停留所を境に1区は15円、2区は30円)とは別に郊外線料金というのが取られるようになり、新三国橋〜服部または服部〜豊中は10円、菰江〜豊中は15円でした。

路線の短縮、そして廃止へ… 1969年末頃には111号系統の大阪駅前〜あべの橋間が廃止され、豊中大阪駅前に短縮されました。阪急百貨店側にあった大阪駅前乗り場もこの際に廃止されました。 1972年になると十三西之町(現:淀川警察署前)付近の循環経路が新設されたことにより、39号系統(野田阪神前〜新高南通[後に新高一丁目に改称])と共に経路変更されました。

1973年9月、1974年1月には111号系統の減便を実施。 また1975年1月の経路変更では、111号系統が平日のみの運行となり、休日では新たに臨111号系統として大阪駅前(阪急三番街)〜豊中として運行されました。 しかし、2年後の1977年4月10日の系統再編成により111、臨111号系統と共に廃止になりました。 実際に1971年と1976年に取られた交通量調査では1976年の乗車人員は1971年の約1/6にまで落ち込んでいた事から同区間を走る阪急バスとの競合に屈することになったのでしょう。 [大阪市営バス豊中線と競合した阪急バス阪北線]

しかし、阪急バスも2020年10月5日のダイヤ改正により梅田〜豊中箕面を結んでいた13系統・63系統が廃止され、梅田(大阪駅)から直接には豊中へ行けなくなったことで豊中線に関連した路線も全て消滅してしまいました。 大阪市営バス豊中線はこのような背景があったのです。

伊丹線 続いては伊丹線です。 野田阪神前から国道2号線西淀川区歌島橋交差点まで北上し、大阪府道10号線より加島、大豊橋を経て名神高速道路の豊中IC付近までに至る路線です。1965年11月13日に開設された路線で系統番号は112号系統でした。 しかし、路線名が伊丹線であるにも関わらず終端は豊中市の南側とあって全く「伊丹」と関係が無いのに…と疑問を感じませんか? 実は豊中インターチェンジより先に延長する予定で命名されたのです。

路線の変遷 [今はなき日本急行バスの路線図]

伊丹線が出来た背景にあるのは1965年7月1日に名神高速道路が全通したことに伴って日本急行バスや国鉄バスが運行する名神ハイウェイバス神戸系統の「名神豊中」停留所の乗降客が増加したことで、名神豊中(豊中IC)から大阪市内へのアクセス路線設置の要望がありました。 そこで大阪市は歌島橋より加島・豊中インターチェンジを経由し、将来的には大阪空港まで延長する路線の計画を立てました。つまり伊丹線の「伊丹」はこの最終延伸地の大阪空港を指していたのです。伊丹市にまで乗り入れていれば大阪市営バス史上初の県外をまたぐ路線でありましたが、そちらは実現することはありませんでした。 また、大阪市営バス伊丹線を開設するにあたって阪急バス自体も元々は千舟橋(大阪シティバス大和田三丁目北バス停付近)から加島に至る路線(千舟線)を持っており、府道10号線は経由せずに狭隘な道を経由していました。 そこで、大阪市営バス伊丹線開設を申請した際に阪急バス千舟線の府道10号線への経路変更と加島以北の系統新設を市バス側が認可することで伊丹線(野田阪神前〜豊中インターチェンジ)の開設が実現したのでした。 豊中インターチェンジの乗り場の正確な場所は不明ですが、阪急バスにもかつては「名神豊中」バス停がインターチェンジ脇に存在していたのでその付近かと推測します。 また、こちらも豊中線同様に郊外線料金が設定されていました。(開業当時の加島町〜豊中インターチェンジは20円)

豊中市乗り入れ撤退とその後

1974年より日本急行バスをはじめ、国鉄バスなどの名神ハイウェイバスの神戸方面の路線休止が相次ぎ乗降客数が激減したのか1978年7月1日の系統再編成により、112号系統は豊中インターチェンジ〜加島を廃止し、加島からは神崎橋を終着とする経路に変更されました。豊中市への乗り入れはこの112号系統の撤退をもって無くなりました。

1979年7月22日の系統再編成では、ゾーンバス制度(幹線・支線路線の乗り継ぎ制度)が出来たことで112号系統は幹線112号系統として運行することになります。 1981年3月3日に歌島橋バスターミナルが開設された時には幹線112号系統は支線94号系統に番号変更され、歌島橋バスターミナル神崎橋に短縮・変更されました。 そして、1997年3月8日にJR東西線加島駅が開業した際のダイヤ改正で支線94号系統は廃止となりました。 阪急バスに至っても加島駅が出来たことにより千舟線の加島〜千舟橋間が廃止され終点を加島駅前に変更。その後は阪急岡町〜加島駅前として運行していたものの、2014年には千舟線自体が廃止となり、大阪市営バス伊丹線と関連する路線は今はありません。 つまりは豊中線、伊丹線はどちらも阪急バスとの深い関係があったのでした。

豊中線や伊丹線はそれぞれの需要があって出来た路線であり、阪急バスとの関係を持ちながら運行してきました。実際に豊中線では、「あべの橋豊中」と現在の最長路線である73号系統(なんば〜出戸バスターミナル)を大きく上回る超ロングラン路線でもありました。伊丹線に至っても大阪空港まで延長していれば市営バス初の県外をまたぐ路線でもあったわけで両者とも過去を見るととても魅力的な路線だったと感じます。

では👋