マツダ交通の見たまま

主に大阪シティバスの小ネタや歴史をディープに掘り下げる考察系ブログです。

【大阪シティバス路線の歴史02】34号系統

こんにちは。久しぶりの投稿になります。 さて、今回は大阪シティバス路線の歴史、第2回目になります。 それもシティバス屈指のドル箱路線である34号系統の歴史を見ていこうと思います。

34号系統とは?

[34号系統の運行経路図] 時刻表検索|Osaka Metro

34号系統は大阪駅前から豊崎を経由して天神橋八丁目、そこから毛馬橋で旧淀川を越えて北上し、旭区北部を突き抜けながら守口市にある守口車庫までに至る路線です。 大阪駅から守口方面に向かうのですから地下鉄谷町線の東梅田~太子橋今市(区間)を並行して走るのかと思えば、実は谷町線の走る区間よりも北の経路を走っていることになりますね。 またこのバス路線は一番売上高が高い(いわゆるドル箱)路線として存在し、朝ラッシュであれば8時台の守口車庫行きは27本、7時台の大阪駅前行きは29本と約2分ヘッドで運行するバス路線です。もはやバスのダンゴ運転ですね笑

34号系統の歴史

それでは本題に入っていきます。 34号系統は1953年12月15日に開設された路線です。 とはいえ、実は1940年には既に34号系統が存在しており、経路が天神橋筋六丁目~なんば経由元町二丁目(1941年9月1日になんば~元町二丁目間の区間休止に伴い、なんばに短縮)とあるため本当のルーツはこの辺りになるのですが資料が少なすぎるため割愛させていただきます。🙇‍♂️

また1945年の終戦時にはこの34号系統は走っておらず休止になっていたため1953年に開設された際には新設というよりも〝路線が復活した〟という認識で見ていいのかと思います。 さて、話は戻しますが戦後に開設された34号系統は、現在の経路と比べてみてどうでしょう? 全くもって今の経路とは別物ですよね笑

当時は天神橋筋六丁目から扇町付近を通り、曽根崎警察署の辺りから下へと御堂筋を沿って難波に至る路線なんです。ちなみにこの路線は寄り道をして大阪駅前のターミナルに入ることはありません。終点の難波は新歌舞伎座前に乗り場があり、起点の天神橋筋六丁目には天六操車場(→現在のOsaka Metro 天神橋筋六丁目ビル付近)が存在していたのでそこから出ていたのだと推測します。

1956年に入ると34号系統は太子橋(現:地下鉄太子橋今市)まで延長されます。 補足ですが、阪急阪神前~太子橋間では1953年に開設した58号系統(大阪駅前~太子橋)と路線が重複するため、34号系統が太子橋まで延長した際には並行して走っていましたが翌年には廃止になっています。58号系統はわずか3年と短命な路線でした。

1969年4月には特34号系統(大阪駅前~守口車庫前) が開設されます。※1

これは大阪市電の守口~阪急東口間が1969年3月31日をもって廃止になることに伴い、代替として作られた路線です。現在の34号系統と結構近いような感じがしますよね~😯

またこの時の大阪駅前行きは、またしても駅前ターミナルには入ることなく都島通沿いにあるOSビル下にあった「阪急東口」バス停が終点でした。 しかも阪急東口が終点であったのに対して、行先方向幕は大阪駅前で設定されていたようです。

※1:一時期は急行運転も行っていた。

翌年1月には御堂筋が一方通行化されてことに伴って34号系統の阪急阪神前(大阪駅前を経て曽根崎警察署前に改称)~なんば間は行けなくなり、大阪駅前(現:曽根崎警察署前)~太子橋と短縮されました。さらに特34と合わせて、天六大阪駅前間はループ運行という形になりました。 [1974年当時の大阪駅前のりば(赤線で表しているのは34・特34号系統の順路)]

当時の地図を見てみると富国生命ビルの上隣のバス停が阪急東口、下隣のバス停が大阪駅前(現:曽根崎警察署前)になります。このようにターミナルには入らず駅前付近をぐるっと回っていたのです。

補足ですが、同じく1970年1月に臨34号系統(なんば~大阪駅前)、臨34A号系統(なんば~天神橋筋六丁目)、臨34B号系統(太子橋~大阪駅前)が廃止(新)臨特34号系統(太子橋~大阪駅前)が開設されました。※2

また、1974年当時の区間便では、(新)臨34号系統(大阪駅前~太子橋[1977年4月廃止])がありました。

※2: 1974年の系統一覧には臨特34号系統が「大阪駅前~守口車庫前」とあるので70年~73年にかけて太子橋より延長している。

1977年4月には天神橋六丁目~(中崎町経由)大阪駅前間が廃止となり、これに伴って34号系統が廃止されます。また、特34号系統も上図のようにループ運行を辞めて天神橋六丁目~扇町経由大阪駅前に変更しました。

翌1978年当時の区間便は、臨34A(都島本通三丁目~守口車庫前)、臨特34(天神橋六丁目~守口車庫前)がありました。(⇒どちらも1979年までに廃止)

1979年7月に入るとゾーンバスシステムが導入され、特34号系統が幹34号系統として系統変更が行われました。また、この際に経路変更が行われ、ほぼ今の形となりました。 [1982年当時の大阪駅前のりば]

[1983年当時の大阪駅前のりば]

元々の大阪駅前のりばはこのような場所にありましたが、(旧)大阪駅前バスターミナルが1983年5月1日に開設されたことにより、のりばが整備されて3番のりばに発着するようになりました。また、1997年に34号系統がリフト付きバス運行路線になった際には3番から4番のりばに変更されました。(この際に従来の4番のりばに発着していた幹57号系統は3番のりばへ変更。いわゆる2路線同士での入れ替えがあった。)

2002年にゾーンバスシステムが廃止となり幹線34号系統が34号系統になりました。 その際の経路変更はありませんでした。

[2008年当時の大阪駅前のりば] 2008年になってから再度乗り場が変更され、今のような乗り場とほぼ近い2番のりばに移設されました。 [当時の乗り場]

[奥に見えるバスシェルターが34号系統の旧乗り場]

[2018年当時の大阪駅前のりば]

2016年10月には大阪駅前のバスターミナルが再度リニューアルされたことにより乗り場が変更、もともと3番乗り場だった付近の場所に新たに9番のりばとして34号系統専用ののりばが出来ました。

そして、現在に至ります。


いかがでしたか。 当初の34号系統は難波から天六方面へと行くのが始まりだったんですね。 それに、その後の難波~太子橋を運行するとなるとかなりロングランな路線ではないでしょうか笑 それ以降も変更を何回かしながら今のような路線になったのですね~😌

では👋