こんにちは😃
今回はバス停について〝あれこれ〟と紹介していきます。
大阪シティバスのバス停といえば…?
[バスロケーション付き電照式型]
大阪シティバスの停留所数は路線図で見る限り目が痛くなるほどの数であり、その一つ一つにバス停が設置されています。市内中心部であればバスロケ装置の無いシェルター型が多く見受けられ、郊外になってくると比較的に電照式のものや簡易的な物が見受けられます。
最先端は広告付きシェルター型
上記のシェルター型は2000年代後半に設置が始まり、最近では停留所老朽化に合わせてこの型に取り替えられています。(福島区役所前・吉野など)
こちらは、バスロケシステムが無い代わりに電照式のものより大きい広告が付いており現在ではこのタイプが主流になりつつあります。
名古屋市営バスにもこれと似たようなタイプがありますね。
未だに数の多い電照式型
[バスロケーション付き電照式型(上部の新喜多東と同タイプ)]
[電照式型(こちらにはバスロケーションは無い)]
おそらく一番見かけるのはこの辺りでしょうか。濃緑色のバス停にはバスロケーション(バス待ちのイライラを改称するためにバスの現在地をキャッチして接近情報を知らせるシステムのこと)が搭載されています。しかし、白色のバス停には搭載されていません。
共通するものとしてはどちらも蛍光灯が内蔵されているため夜では明るく灯るので視認性は高いと思われます。
[上本町六丁目バス停]
そもそも、このバスロケーション付きのバス停が導入されたのは1981年4月のことで上本町六丁目~住吉車庫前間で導入されました。関西では先に京阪バスが枚方高槻線で導入(1980年3月)されているため1年遅れての導入となります。
よく見てみると…現在のモデルとでは少し違いがあるのが確認できますね。しかし1988年の野田阪神前~春日出車庫前(現:東島屋)・酉島のバスロケ設置時には現在のモデルの型になっているのが確認できました。この頃に変更があったのでしょうか。
これらの種類の他にシェルター付きのバスロケ停留所もあるのですが、別の機会で紹介します。😌
[城北公園前バス停(1985年4月導入)]
簡易型
[赤バス転用型]
簡易型は郊外部でよく見られるもので型は様々、上記の写真以外にも独特なバス停があります。
[さらに古い型のバス停]
もっと前になると縦書き式のもので、導入されたのは1973年。現在はほとんど見られなくなりましたがバス停工事中に仮設されたバス停や、おりば専用のバス停に転用される形で残っています。
[長吉長原東三丁目バス停おりば。鶴見商業高校前から転用]
見れたらラッキー!な行灯型
[あべの橋バス停(撤去済み)]
大阪シティバスにはこのようなレトロなバス停も存在します。これは1973年に登場した「行灯型」と呼ばれるものです。
[行灯型が普及する前のバス停]
1960年代後半には行灯型に似たバス停が存在していましたが、あまり浸透はせず木製の簡易型がほとんどであったので、この行灯型が登場してからは市内中心部をはじめ至るところに設置されました。
行灯型が主流の時代はこのように系統番号と時刻表、ご案内が掲載されていました。このあべの橋バス停にも、うっすらですが系統番号とご案内が残っていました。[11、13の文字]
近年では地下鉄住之江公園とあべの橋が撤去され、残るは2基と絶滅寸前。行灯型とはいえかなり古いものなので、夜間点灯はもうしていません。
残りの2基は割と大阪市内中心部にあるのでぜひ見つけてみてください☺️
過去にはこんなものも…
これは廃止した大阪市電路線のサイドポールをバス停に転用させたものです。当初は川口町(現:川口一丁目)~森ノ宮東之町(後の森ノ宮駅前【1979年廃止】)に設置されました。下の表示板はホーロー焼き付け、上の標識には蛍光灯が取り付けているなど、丈夫で夜間にも見やすいバス停であったようです。
さいごに
私がここで紹介したもの以外にも変わった型のバス停があります。が、これらは大阪市営バス時代に作られたものであり、実はシティバス独自といったバス停はまだありません。おそらく、ダイヤ改正による大規模な路線新設・停留所新設がなく、バス停設置の機会というのは劣化による交換ぐらいで大体は営業所内のストックで賄えているんだと私は考えます。(シェルター型は過去のものをそのまま新製した形でしょう)
大きな変更があったといっても民営化を控え、市バスマークを撤去するために簡易型であれば上からシールで覆ったり、電照式であればアクリル板を差し替えたりといった変更があったくらいです。
バス停も時代に合わせて進化しているので、次にどんなデザインのものが出るのか楽しみです。
では👋