こんにちは😃
今から約20年ほど前に大阪市営バスが実施していた「ゾーンバス制度」ってご存知ですか?
私も名前は知っていたものの、そんなに利用した事が無かったので〝結局あれは何だったのか?〟をゾーンバス制度の基礎を踏まえて紹介していきたいと思います。
かなり内容が長いのでそこはご理解ください…
そもそも「ゾーンバス」って?
1974(S.49)年に実施されたシステムで、市内の根幹を走る路線から郊外部方面へ行く際に1度、根幹を走る路線(幹線)で乗り継ぎができる指定の停留所まで乗り、そこから郊外部付近を走る路線(支線)にそのまま乗り換える、といった「再度お金をかけずに」乗り換えをして色んな場所に行けるようなシステムをとりました。現在のバス→バス乗り継ぎ割引の元祖版のようなものです。
(1974年11月当時の市内運賃は50円であるため、乗継してもそれ以上の運賃はかかりませんでした)
これをする事で「行き先を気にせず」にどのバスに乗ってもとりあえずは乗り継ぎができる停留所まで行けばいいので、待ち時間が大幅に短縮される利点がありました。
[幹線あるいは支線路線の降車時に乗継券を発券して乗り換える]
シンボルは赤いリスマーク
ゾーンバスのシンボルはこの「赤いリス 」です。車両には幹線バスが緑色塗装、支線バスが赤色塗装(1979年以降は車体塗装変更のため区別無し)といった区別がされている上、前面左上部にこのリスのヘッドマークを掲出していました。
なぜ、リスを採用したのかというと「支線バスがリスのようにすばやく」という意で採用されたようです。あとは予測ですが、「支線を走る路線は主に中型車(幹線は大型車)が運用していた背景があり、隘路を走るような路線を小柄なバスが走り抜ける」というのも考えられますね。
1980年代半ばになると、若干デザインが変更されたのかリスの目が丸くなり、さらに1989年12月1日には、翌年に控える「国際花と緑の博覧会」があるためPRとして全車両のリスのヘッドマークから「花ずきんちゃん」に変更されました。(リスのデザインをそのまま上塗りしている)
[花ずきんちゃんのヘッドマーク付き車両]
ゾーンバス制度導入の経緯
そもそも、ゾーンバス制度が何故導入されるようになったかを調べていきます。
[ゾーンバス導入前の長吉長原地区(大阪のあし)]
当初にゾーンバスが導入されたのは大阪市営バスが運行する全ての系統路線ではなく、実は平野区(1974年9月に東住吉区から分区)と東住吉区のみでした。
これには理由があり、1955(昭.30)年の第3次市域拡張により、新たに大阪市に編入されたことで公営住宅建設とインフラ整備が進められたことで急激に人口が増加しました。東住吉区東部には御堂筋線、北側にはJR線等が通じてはいますが、特に出戸や瓜破などといった地区はバスを唯一の輸送機関としていました。
例えば出戸から天王寺方面へバスに乗るにしても、特にラッシュ時では道路が混雑しているのでバスの定時性の確保が難しく、さらに系統路線がかなり複雑に絡んでいたためか、どうしてもダンゴ運転が生じてしまう背景がありました。
そこで、「出来るだけ早く目的地に着けるように」ゾーンバス制度を導入させたのです。
[当時の大阪市だより]
[ゾーンバス開通日の様子]
[ゾーンバス運行開始記念乗車証]
1974(S.49)年11月28日、このような式典などを迎えながらゾーンバス制度が東住吉区・平野区でスタートしました。さらに、バス優先のための交通規制を実施するにあたりバス専用道・専用レーンの設置を行いました。
[ゾーンバス実施当時の系統図]
[乗り継ぎ指定停留所一覧表(下部に特例が記載されている)]
出戸バスターミナルの開設
ゾーンバス実施直後は中々の好成績だった裏で最大の難点がありました。
それが「幹線から支線へ乗り継ぐ時の不便さ」でした。乗り継ぎをより便利するためにはターミナルの設置が必要になったため、一番路線が集中する出戸[現:地下鉄出戸]停留所付近にバスターミナルを設置、1976(S.51)年10月9日に出戸バスターミナルが開設しました。(既存の出戸操車場をバスターミナルに改装?)
[開設当時の出戸バスターミナル]
[出戸バスターミナル(2015年頃)]
バスではこのような動きがありましたが、この頃の地下鉄では谷町線(東梅田~都島、都島~守口)の開通があり、市内中心部には地下鉄路線が網状に整備されてきました。
このゾーンバス制度を地下鉄と連携させることになりますが、それについてはまた次回で紹介しようと思います。
では👋