マツダ交通の見たまま

主に大阪シティバスの小ネタや歴史をディープに掘り下げる考察系ブログです。

大阪シティバス停留所の付随名称(副名称)を考察してみた。

こんにちは😃

大阪シティバスに乗っていると車内アナウンスで当たり前のように次の停留所名が読まれますよね?

「つぎは、地下鉄中津、地下鉄中津」や「つぎは、長柄国分寺長柄国分寺」などとこのように読まれるのですが、さらに停留所名の後に追って付近の名称やらを読み上げる事があります。

例えば…

例1「つぎは、南森町南森町大阪天満宮

例2「つぎは、大阪城大手前、大阪城大手前、府庁前」

このように続けざまに大阪天満宮、府庁前と読み上げられるのはその停留所に付随名称(副名称とも)が付いているからなのです。

大阪メトロでは大阪ビジネスパークを「大阪城ホール前」、淀屋橋を「市役所前」と呼称するような形でしょうか。

今回はそれらについて深く考察していきます。

 

Q.付随名称の見分け方は?

f:id:Matsuda_KOTU:20210626143209j:image[鴫野停留所]

見分け方は2種類あります。

1つ目は停留所の標柱に直接、括弧内に記されている場合です。特にこれらは車内アナウンスでも停留所名に続けて読まれる事が多いです。

しかし、病院や不動産などが付随名称になる場合は「~病院へは次でお降りください」や「内科、外科の~病院前です」と単純に最寄り停留所として案内されたりします。(ただし、大きな病院になると南森町のような続けざまに付随名称を呼称するだけになります。)

f:id:Matsuda_KOTU:20210626143823j:image[市営バス時代の南森町停留所、赤枠内が付随名称]

これらに該当する停留所(2021年6月現在)

など

 

しかし、付随名称があるにもかかわらず、中には停留所標柱に記載されていない場合があります。

そこで2つ目が先程述べた車内アナウンスで判別することができます。

これらに該当する停留所(2021年6月現在)

馬場町はなんと付随名称が3つもあります。ちなみに馬場町の一世代前の標柱では付随名称が記載されていました。

など

 

Q.方角は付随名称になるのか?

f:id:Matsuda_KOTU:20210626183351j:image[市営バス時代の地下鉄太子橋今市(北)停留所]

豊里大橋のたもとにある地下鉄太子橋今市の停留所には(北)と表記あります。これも一種の付随名称になると思われます。

これには経緯があり、2014年のダイヤ改正によってW停車(2回同じ名称のバス停に停車する)のある停留所を対象に方角を採り入れた付随名称を付けられました。もちろん、この停留所もこの改正によって付けられたのです。

おそらく周辺に点在するバス停を分かりやすくするために区別させたのでしょう。

ちなみに2014年以前でも方角を付随名称とした停留所はいくつか存在していました。

  • 此花区役所(東)
  • 大運橋通(東)
  • 杭全(東)(西)

など

 

Q.付随名称が削除されることはあるのか?

f:id:Matsuda_KOTU:20210626185539j:image[市営バス時代の大正区役所前停留所(現在、付随名称は削除されシールが剥がされている)]

f:id:Matsuda_KOTU:20210626221750j:image[済生会病院前(現在、付随名称は削除)]

あります。削除される理由は様々だと思いますが、推測しやすいケースを挙げるとすれば…

 

①付随名称に該当する建物が閉鎖・閉所した場合

②停留所の付随名称が、停留所名として改称された場合

③付随名称に該当する関連施設等が改称した場合

④停留所周辺の店・病院などとの広告媒体が終了した場合

の4点だと考えます。

 

①の場合で削除された停留所

→1990年に郵便貯金会館(現:メルパルク大阪)が淀川区宮原に移転したため削除(時期不明)、同付随名称の「天王寺区役所前」は残る

→1989年に電気科学館が閉館したため削除(時期不明)

  • 八幡筋(南区役所前)

→1989年2月に南区が消滅した(東区と統合し中央区となる)ため削除※八幡筋は現在廃止

  • 片町(駅前)

→1997年3月にJR片町駅が廃止になったため削除

  • 新喜多大橋(鯰江公設市場前)

→鯰江公設市場(ナマズエストア)が閉鎖したため(時期不明)

f:id:Matsuda_KOTU:20210626193701j:image[新喜多大橋停留所。付随名称が削除された跡が残っている]

 

②の場合で削除された停留所

  • 本庄中通(大淀区役所前)

→1977年に大淀区役所前に改称。※大淀区役所前は現在の本庄西二丁目

→1979年に鶴見区役所前に改称。

→1980年に上新庄駅北口に改称。

→2014年に曽根崎警察署前に改称。

など

 

③の場合で削除された停留所

大阪市営地下鉄四天王寺前が「四天王寺前夕陽ヶ丘」に改称したため、天王寺警察署前(地下鉄四天王寺前夕陽ヶ丘)に変更

  • 天神橋(近畿郵政局前)

→天神橋(日本郵政公社 近畿支社前)に変更※現在は削除

→2017年にフェスティバルシティの開業により、渡辺橋(フェスティバルシティ前)に変更

など

 

④の場合で削除された停留所(推定)

停留所標柱から削除を確認(車内アナウンスも呼称無し)

停留所標柱から削除を確認(車内アナウンスも呼称無し)

など

 

Q.近年、追加された場所はあるのか?

 

とこれぐらいでしょうか…(他に何か見つけた時はTwitterなどで教えてください笑)

これからもまだまだ何らかの形で新設されるのかもしれません。

 

~最後に~

かなりマイナーなネタで、実は出すのもちょっとためらいましたが「付随名称ってこんなにあるんだぞ!」っという気持ちを訴えたくて今回記事にさせていただきました。実際私が確認したところだと、削除された所も含めてこれまでに約200箇所ほどあります。

バスの路線図を作成する際に停留所名は書かなきゃ成立しませんが、付随名称は別に書かなくても良いような物で原則として省かれるため、〝それを探す〟となると…ある意味宝探しをしているかのような感覚になります。😅

上記で挙げた停留所の他にも付随名称の付いた停留所はまだ結構ありますので、「一日乗車券で大阪シティバスを乗りつぶそう!」という方にはオススメです笑

特に62号系統(大阪駅前~住吉車庫前)に乗りますと、途中で付随名称のオンパレードになりますので気になる方はぜひ〝大阪シティバスの変わった楽しみ方〟を見つけてみてはどうでしょう?

 

では👋

大阪シティバス昼間割引回数券を買ってきました。

こんにちは😃

つい最近なんですが、大阪シティバスの車内販売、バス営業所の乗車券販売窓口が廃止に…

さらには、紙券のバス回数券(大人・小人・昼間割引)が廃止となり今年に入ってから大きく変わってしまいました。

バス回数券(紙券)の発売終了について | 大阪シティバス株式会社

 

バス回数券だけは、、、と思いつつ価格を見ると全種買うとなれば総額8,400円(バラ売り無し)となるために諦めました。😢

f:id:Matsuda_KOTU:20210620172240j:image[購入したバス昼間割引回数券]

しかし、所用で出かけた道中に偶然にも金券ショップでバス昼間割引回数券などがバラ売りされていたためについ何枚か記念で購入しました。

今更ではありますが、今回はこの回数券を調べていきたいと思います。

 

  • バス昼間割引回数券とは?

大阪シティバスで利用できるバスの回数券で、バス営業所や地下鉄定期券発売所、駅長室、駅構内売店などで今年5月末まで発売されていました。値段は2,100円(12枚綴り)で特定の時間帯(10時~16時の間)のみに利用でき、1乗車あたり210円に対して175円と35円も安く乗ることができます。(バス回数券[大人]だと約19円安く乗れる)

ただし、2022年5月末までが有効期限となっているため、翌6月からは使えなくなってしまいます。

 

①これで阪急バスが乗れる?

→乗れちゃいます。

f:id:Matsuda_KOTU:20210620154231j:image[ご案内の最上部に記載がある。]

ただし昼間割引回数券ですから、10時~16時の時間帯の利用内であれば乗れるわけです。阪急バスの区間となると阪北線の十三や野中北一丁目などでは使えますね~😄(梅田~野中北一がシティバスと同じ210円※十三も同様)

阪急側の回数券ではこのような説明がされています。↓

f:id:Matsuda_KOTU:20210620174747j:image大阪市同調区間回数券|路線バス|阪急バスより

かつては大阪シティバス97号系統区間と併走していた加島駅方面にも使えました。(阪急バス加島線は2020年7月19日をもって廃止)

ちなみに残念ながらバス回数券(大人・小人)は利用出来ません。

 

  • 阪急バスも発売していた?

阪急バス側も大阪市内専用回数券として発売していたようですが、大阪シティバスの昼間割引回数券の廃止に合わせて既に発売を終了しています。ちなみに私は回数券自体、聞いたこともありませんでした😅

https://www.hankyubus.co.jp/news/images/20210426o.pdf

 

 

②昔の昼間割引回数券と比較してみる

f:id:Matsuda_KOTU:20210620161455j:image[昭和51年頃の昼間割引回数券]

折角なので、昔の回数券と比較してみました。バス昼間割引回数券は「石油危機等の大阪市の財政悪化の解消にやむを得ない必要最低限の料金引き上げによるサービス維持向上を図る1つの手」として1976年(S.51)4月1日に発売を開始し、当時は大人・小人の共通利用でした。降車の際に大人は1乗車が90円(当時)だったので2枚ちぎって運賃箱に投入、小人はその半額なので1枚ちぎって投入するという仕組みだったようです。2年後の1978年(S.53)11月では大人1,000円(110円券12枚綴り)、小人500円(60円券11枚綴り)と別々に発売されていましたが、後に共通利用のものに戻されています。

そして現在では210円券の物しか無く、大人運賃のみの割引回数券になっています。

 

  • 昼間利用の時間帯は?

また昼間利用の時間帯が11時~15時と現在の物よりも2時間も短いです。しかし、1982年にはもう現在の10時~16時になっていました。

ギャラリー

f:id:Matsuda_KOTU:20210620164904j:image[昼間割引回数券の案内:大阪のあし№99(1987年2月発行)]

f:id:Matsuda_KOTU:20210620170028j:image[昼間割引回数券の案内:大阪のあし№111(1991年3月発行)]

 

③最後に…

紙のバス回数券無き後も、現在では従来の地下鉄とバスが乗れる『回数カード』や今年3月に開始しているスマホを乗車券とした『モバイルチケット』などが代用になっています。昔ながらの紙券が無くなるのは悲しいですが、今やチケットレスという言葉が生まれている時代で今後はどのような乗車券になっていくのか気になるところです。

 

では👋🏼

大阪花博道路の遺構と旧心斎橋を訪問しました。

こんにちは😃

先日は鶴見緑地に行ってきました。

f:id:Matsuda_KOTU:20210507102629j:image

花博記念公園鶴見緑地は、もともと第二次世界大戦での空襲被害が起きた際の避難場所として1941年に防空緑地に指定されたもので当時は水田と蓮の栽培が頻りにあるだけだったようです。戦後になっては地下鉄建設で出た残土を泥地にうずたかく積まれて整備され、1972年4月より鶴見緑地として本格的に開園しました。大芝生が出来たのもこの年です。

十数年後には1990年4月~9月末まで開催された国際花と緑の博覧会(EXPO'90)」のメイン会場になりました。

 

花博の開催後には花博記念公園鶴見緑地として再整備され、もう31年経ちました。

そんな花博跡地を望むことができるのは守口市高瀬旧大枝咲くやこの花大阪市鶴見区緑地公園のいのちの塔などありますが、あまり知られてない花博アクセス道路の遺構が今も存在します。

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地図の赤枠で示された部分がまさに遺構の地点、この付近には花博会場西ゲートがありました。

f:id:Matsuda_KOTU:20210507110356j:image

緑地西橋南側に来ました。ランニングにはうってつけの平坦な道ですね。

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左側には道路があります。

しかし、私が立っている道もかつては車が通るような立派な道路だったのです。左の植え込みも中央分離帯として役立っていましたが、緑地とあって上手いこと隠せていますね笑

 

この先の緑地西橋も中々の見もの。

f:id:Matsuda_KOTU:20210507112721j:image

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緑地西橋自体は鶴見緑地改装(西ゲートアクセス道路)として1989年に作られたのですが、トラス型の鉄橋(橋梁の外側)の部分はもともと1873年の心斎橋に架けられたもので、日本では現存最古の鉄橋とされています。

明治時代に架けられた心斎橋はその後も境川橋、新千船橋、鈴懸橋(鶴見緑地公園内)として転々としましたが、現在はこの地で道路橋として役割を果たしています。

f:id:Matsuda_KOTU:20210507114427j:image[緑地西橋東詰には鉄橋の由緒が記された碑文がある]

f:id:Matsuda_KOTU:20210507115548j:image[親柱には橋の名称と花博のシンボルマークが刻まれている]

 

f:id:Matsuda_KOTU:20210507120304j:image[奥にある中央第一駐車場]

他の遺構では、鶴見緑地中央第一駐車場が花博シャトルバスのターミナル跡だったりしますが、名残が全く無く確認できるのは航空写真で見た区画ぐらい。他にもあるには有るのですが、当時の面影が十分にある遺構というのは緑地西橋付近を縦貫する道路くらいなのでしょうね…🙄

 

では👋🏻

短い役目の桜川バスターミナル・浜バスターミナル

こんにちは😃

大阪市営バスには多くのバスターミナルが多く存在していました。現在も残る大阪駅前、なんば、野田阪神といった駅前ターミナルから、今はありませんが地域の乗り継ぎ拠点として活躍した歌島橋バスターミナル(2014年廃止)があります。

主にこれらは「地下鉄から市バスへ、あるいは市バスから市バスへ」となるべく分かりやすく便利に乗り継ぐ拠点として1960年代から設置、特に1980年代からは多く設置されました。そんな中、なぜか短い期間で閉鎖したバスターミナルがあります。

 

それが、桜川バスターミナル浜バスターミナルです。市バスに詳しい方なら名前ぐらいは聞いたことはあるのでは無いでしょうか?

今回はその2箇所を紹介していきます。

 

桜川バスターミナルとは?

f:id:Matsuda_KOTU:20210428001445j:image[桜川バスターミナル跡地:2015年撮影]

 

桜川バスターミナルは1969年4月17日に開設、1963年の天満橋バスターミナルの開設から5番目に作られたバスターミナルです。

これは、地下鉄千日前線野田阪神~桜川が開通した同年4月16日とほぼ同時に営業を開始しました。また、このバスターミナルは大阪市が「都市交通におけるバス輸送のあり方」の具体案として、地下鉄建設の際に駅の地下出入口に直結するバスターミナルを整備する計画地として既にあげられていました。そのため、地下鉄桜川駅の5番出入口横にはバスターミナルが設置されているというわけです。しかし、乗降客数が少なかったからか1978年7月1日の改正で閉鎖されバスターミナルとしては10年も満たない役目でした。

余談ですが、計画地であげられていたのは桜川の他に天六や深江橋がありました。

天六は現在のOsaka Metro天神橋筋六丁目ビルの場所に確かにバスターミナルありましたが、深江橋は聞いたことがありませんね。🙄

 

★乗降所と乗り入れ路線

桜川バスターミナルの最寄り停留所は、施設名の通り、「桜川バスターミナル」です。施設内の乗降所は2箇所あり、おそらく乗車用、降車用と分かれていたのでしょう。それもこちらは多くても2路線しか乗り入れていなかったからです。

f:id:Matsuda_KOTU:20210428114632j:image[1973年当時の路線図、桜川バスターミナルは右上]

 

乗り入れていた路線

  • 29号系統(桜川バスターミナル~出島)

1969年4月(桜川バスターミナル開設時)~1977年5月?まで乗り入れ

  • 特68号系統(桜川バスターミナル~柴谷町)

1973年?~1978年7月(桜川バスターミナル閉鎖時)まで乗り入れ

 

桜川バスターミナルの閉鎖後は引き続き幸町操車場として長らく機能しましたが、これも2015年に廃止。高速バス専用駐車場として転身になるも現在は工事中、どうやらOsaka Metroが行う都市開発で新たに生まれ変わるようです。

 

浜バスターミナルとは?

Google マップ

浜バスターミナルは鶴見消防署茨田(まった)出張所に隣接していたバスターミナルで1987年1月に開設されました。作りは簡素な屋根付きの乗降所に曽根崎警察署前停留所で見られるような昔の電照式標柱が一基のみ、乗降兼用で取り扱っていたものだと思われます。

最寄り停留所は名の通り「浜バスターミナル」です。桜川バスターミナルは最寄り駅がありましたがこちらはありません。

また、大阪市営バスが開設したバスターミナルの中ではかなり変わっていました。

 

★営業時間が9時頃から17時頃まで…

浜バスターミナルは日中時(9時~17時頃)のみ乗降の扱いを行うので、その他の時間帯では浜バスターミナルは通過する他、浜バスターミナル止まりならばもちろん行先も変わります。

乗り入れていた路線(どちらも開設~閉鎖まで乗り入れ)

  • 幹線36A号系統(大阪駅前~浜バスターミナル)

→日中時間帯外では従来通りの幹線36号系統(大阪駅前~安田)として運行

  • 幹線臨36号系統(京橋駅前~浜バスターミナル)

→日中時間帯外では従来通りの特36号系統(京橋駅前~茨田大宮)として運行

  • 支線36号系統(浜バスターミナル~茨田大宮)

※幹線36号系統、特36号系統は日中時間帯も運行

 

浜バスターミナルは乗り継ぎ地点でもあったため、ゾーンバス乗り継ぎ指定停留所に設定されていました。

ゾーンバス乗り継ぎ指定停留所とは、幹線系統から支線系統あるいは支線系統から支線系統に乗り継ぐために指定されたバス停のことで、例えば幹線臨36号系統から支線36号系統に乗り継ぐ時に先に車内で料金を払いバス乗継券を発行します。これがあると1回目の乗車料金を引き継いだままで2回目(支線)の乗車には料金がかかりません。(降りる時に乗継券を入れるだけ)

今の大阪シティバスがやっているICカード・回数カードが対象の1回目のバス乗車から乗り継いで降車するまでの時間が90分以内であれば、2回目の乗車は1回目の乗車料金だけで済む構造みたいなものですね。

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f:id:Matsuda_KOTU:20210428183809j:image[横堤バスターミナル(2013年廃止)]

しかし、これも1990年3月20日鶴見緑地線【現:長堀鶴見緑地線】の京橋~鶴見緑地間が開通したことで途中の横堤駅の大阪市交通局鶴見乗務所下に横堤バスターミナルが開設したため、浜バスターミナルの機能を横堤に移転する形で閉鎖になりました。こちらは3年しか存在していません。

閉鎖後は2006年頃まで放置され、その後は解体されて施設が建っています。

 

大阪市営バスのバスターミナルはこのような営業期間の短いものや長いものが混在していましたが、大阪シティバスになっては主要駅のバスターミナルと北巽、出戸を残す形になっています。特に最近はオンデマンドバス(乗車日時や乗降場所をご指定いただくことでお客さまのニーズに応じて運行する乗合バスのこと)の社会実験を開始したことで、今後のバス路線に何かしらの変化があるのかもしれませんね。

 

では👋🏻

バスの乗り方は一つだけではない!!

f:id:Matsuda_KOTU:20210407220154j:image

(左上:京都市営バス)   (右上:東急バス)

(左下:東陽バス)          (右下:奈良交通)

 

こんにちは😃

旅行先で観光するためにバスを利用するとき…

どこから乗ったらいいんだ?』

前払い後払い?どこから降りたらいいのやら…』

と悩まれる方がいらっしゃると思いますが…(まさに私がそうです…😞)

f:id:Matsuda_KOTU:20210407213540j:image[なかのりの看板:茨城交通(水戸駅にて)]

f:id:Matsuda_KOTU:20210408171003j:image[うしろのりの看板:茨城交通(茨大前にて※許可を得て撮影)]

中にはバスの前面に大きく「なかのり」や「うしろのり」と親切に書かれているバス会社もあります。(それでもほとんどのバスでは乗車口に入口のステッカーが貼ってありますが。)

 

今回はこれまで私が旅行に出かけた際に

「こんな乗り方があったのか!」と感じたバスの乗り方を紹介していきます。

 

京都市営バス

f:id:Matsuda_KOTU:20210407213504j:image

まずは京都市営バスです。清水寺や嵐山、金閣寺などが市内均一区間(運賃がずっと一緒の区間)に入っているために便利なのですが乗り方は…

f:id:Matsuda_KOTU:20210407215412j:image

『中(後)乗り、前降り、後払い』

になります。※1

この乗車方式は首都圏を除く地域には大体がこのやり方です。

同様の扱いを行うバス会社

大阪シティバス

・神戸市営バス

西鉄バス

広電バス

北海道中央バス

新潟交通など

 

※1

ただ、京都市営バスでは、最近になって前乗り・後ろ降り・前払い形式と変更した一部の系統(急行100・102・急行101など複数)があるために乗る際には少し注意した方が良さそうですね。

f:id:Matsuda_KOTU:20210408083802j:image[前乗りバスの見分け方(京都市交通局ホームページより)]

 

②東急バス

f:id:Matsuda_KOTU:20210408084052j:image

次は東京や神奈川(川崎・横浜市北部)で走っている東急バスですが、こちらはどうでしょう?

f:id:Matsuda_KOTU:20210408084946j:image[前扉には入口のステッカー]

『前乗り、中(後)降り、前払い』

になります。

前扉から乗り、先に運転手に降りるバス停を伝えて運賃精算(現金やICカードなど、均一制区間の路線はそのまま精算)をした後、目的の停留所に着いたら中扉(あるいは後扉)から降りるというやり方です。特に首都圏ではこのやり方が多いですね。

 

同様の扱いを行うバス会社

名古屋市営バス

京急バス(東京都内・川崎市横浜市を発着する路線※4系統を除く)

小田急バス

横浜市営バスなど

 

また、『前乗り、前降り、後払い』という乗り方もあり、少数派ですが神奈川中央交通(一部路線)、京成バス(一部路線)などでされています。

 

  • 特殊なケース―――

 

③東陽バス

f:id:Matsuda_KOTU:20210408092225j:image

次は、沖縄にある東陽バス。ここには前にしか扉がない車両があります。

『前乗り、前降り、(前)後払い』

になってます。

といっても沖縄のバスの乗り方はかなり特殊で、この乗り方を行う路線は

「系統番号が20番以降の路線」で、105番は前払い、その他の20番以降は後払いになっています。

しかもこの東陽バスだけでなく、同じく那覇に乗り入れる沖縄バス・那覇バス琉球バスも同じやり方をとっています。

会社は4社とどれも違いますが系統番号は全て統一されているので、どのバス会社だからと思わずに系統番号と行先だけを確認するだけで大丈夫ですね!

f:id:Matsuda_KOTU:20210408123054j:image[51番なので後払いと分かる:琉球バス]

これらのバスは前にしかドアがないので一目見れば分かるのですが、中には後ろにもドアがあるのに前の方しか扉が開かない場合も普通にあります。

f:id:Matsuda_KOTU:20210408171853j:image[77番なので前のドアしか開かない:沖縄バス]

先程紹介した系統以外でも乗り方が全く違うので、那覇空港から国際通り首里城はモノレールで行けますが、美ら海水族館などの名護方面に行くにはバスが必要不可欠になるため、行かれる時には下調べしておくと良いと思います😅

バスの乗り方|那覇バス・琉球バス交通バスロケーションシステム

↑他の系統の乗り方はこちらに記載されています。

 

奈良交通

f:id:Matsuda_KOTU:20210408133946j:image[北大和営業所※許可を得て撮影]

最後に奈良交通を紹介します。

この車両には扉が3つ備わっているいわゆる3扉車で、生駒・東生駒・富雄・学園前駅→駅周辺の住宅地を結ぶ路線で使われています。観光路線と言うよりかは通勤&通学路線ですね。(2021.4月現在は7台とも北大和営業所に在籍)

 

このバスの乗り方は行き、帰りによって変わります。

 

まずは住宅地→駅(行き)を利用する際だと…

前扉から乗車→先に運転手に降車停留所を申告して精算し、後ろの扉から降車(駅では全ての扉が開く)

 

駅→住宅地(帰り)では…

駅では全ての扉が開くので乗車(その他では前しか開かない)→降車停留所に着くと運転手に乗車停留所を申告して精算し前から降りる。

 

うーん、扉がさらに1つ増えるとなると難しいですね笑

ただ、奈良駅周辺ではこのような車両は基本使われておらず、運賃均一の区間の路線では『前乗り、中(後)降り、前払い』、整理券の出る路線では『中(後)乗り、前降り、後払い(一部を除く)』になっています。

バスの乗降方法について|奈良交通

↑詳しくはこちら

 

これだけ地方で乗り方がバラバラだとけっこう疲れてきちゃいますよね💧

 

  • 最後に―――

いかがでしたか。今までの説明で頭が痛くなってしまったのでしたらすいません…😣

「これだけ地方によってバスの乗り方がバラバラで難しいし運転手に怒られたら嫌だなぁ」

という印象が持たれてもおかしくない話ですが、私が基本使っている最低限度の対策法がありますので紹介します♪

1.乗り換え案内アプリを使う

Yahoo!乗換案内やNAVITIMEが定番だと思いますが、私はYahoo!乗換案内をよく利用しているので名古屋や京都、東京などでの乗換案内を見た時に乗り方までも記載されているので大変助かっています。☺️

f:id:Matsuda_KOTU:20210408163026j:image[京都市営バス100番は前乗り、後降り・後払いと記載]

f:id:Matsuda_KOTU:20210408163148j:image[名古屋市営バスの場合]

ただ、広島や沖縄も含めた地方だと乗り方までは記載されていない場合があるのでネックなところですね~

また、NAVITIMEにはバス専用のアプリ、バスNAVITIMEというのがあり、こちらも分かりやすかったです!😄

 

2.ホームページで確認する

もはや究極の選択肢ですね。😅

『~バス  乗り方』と調べるだけで普通にヒットします。

またICカードが使えるか?

現金ならばお釣りは出るのか?

もこれで分かります。

 

私の体験談ですが沖縄に行った時はこれに助けられました。系統番号で乗り方が違うだなんて初めて知りましたし、たとえ路線バスで来る車が高速バスだったとしても全く動揺せずという感じで、やはり見る見ないでは大きく違うと思います。見なくても何とかなるケースは全然ありますけどホームページがあるだけで分かりやすく書いてあるので心強いですね!

まぁ、今の時期は感染症で出かけづらいですが、また落ち着いて旅行に出かける際に活用されてはいかがでしょうか?

 

では👋🏻

市バスカラーの緑はどれだけ長く親しまれたのか?

こんにちは😃

昨秋に大阪シティバスの新塗装発表があり、12月頃には酉島・鶴町営業所には緑・白・青を基調にあしらった車両が導入されました。

路線バスのデザインを41年ぶりに刷新します(2020年8月28日発表) | 大阪シティバス株式会社

 

f:id:Matsuda_KOTU:20210407103949p:image[大正橋にて]

おフランスを想起するトリコロールの新デザインは斬新なデザインで、見るからにこれまでの市バスとは違うような大きく衣替えしたような姿となっています。ちなみに新デザインにはこのような意味があります。

Osaka Metro Group全体のデザインを統括する奥山CDO(チーフ・デザイン・オフィサー)の監修によりデザインした新しい車両は、「大阪のシンボルとしての路線バス」としてこれまで長年親しまれてきた車体カラーのグリーンを踏襲し、「市民生活に根ざした路線バス」として、信頼、安心を象徴したホワイト、また「未来の大阪へ走る路線バス」として、港町・大阪の海、大阪シティバスOsaka Metroを象徴するブルー、これらをこれまでの40年からこれからの未来へ、時代の扉を開いて前進する様子を斬新な縦グラデーションで表現し、皆様に愛されるバスを目指してデザインしました。

[路線バスのデザインを41年ぶりに刷新します(2020年8月28日発表)より]

 

今回の新デザインでは現行塗装のグリーンを〝「大阪のシンボルとしての路線バス」としてこれまで長年親しまれてきた〟を理由に踏襲したとありますが、実際にどれくらい長く親しまれてきたのかをこれまでの大阪市営バスが採用してきた塗装を踏まえて紹介していきます!

 

1.草創期は緑ではなかった。

え、最初から緑色じゃなかったの?とズッコケる方もいらっしゃるでしょうが、緑じゃないんです。

f:id:Matsuda_KOTU:20210405112459j:image[石川島造船所(→いすゞ)製のウズレー]

1927年2月26日に開業した阿部野橋~平野間を走った大阪市営バス(現:大阪シティバス)はウズレーを筆頭にインターナショナルやダットなどの車が導入されたのですが、ボディカラーは緑色でなく藍色でした。

後に市営バスと対抗することになる、一足先に開業した大阪乗合自動車の塗装は青塗りだったことで青バスと呼ばれていました。

 

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さらに1929年9月、堺筋四つ橋筋(当時は南北線)の乗り入れに合わせて、青バスと対抗するように銀色にまとった新造車が走ったことで、市民から「銀バス」の愛称を受けました。当時の局長が乗り入れによる本市の思いと喜びを詩に託し『銀バス行進曲』(譜は道頓堀行進曲)なるものが制作されました。

 

銀バス行進曲

1. 永い月日の思いがとどき   晴れて通ふや銀のバス

(テナモンジャナイカイカ  白銀バスよ)

2. 粋な姿の銀バス通ふ   街もひとしほ[一入]堺筋

(くりかえし)

3. 秋のおとずれ南北線に   通いそめたる銀のバス

(くりかえし)

4. 乙女おもわすあの銀バスに   心ひかるる市の人

(くりかえし)

5. 色もさやかな白銀バスの   窓にゆかしき乗馬服

(くりかえし)

 

1940年には青バスとの統合により窓上を銀色、下部は緑色の二色としましたが、配色が悪かっため翌年には窓上はクリーム色になり、ゼブラバスの登場までは大体はこれが基調になっていました。塗装に緑を使用したのはこの頃からなのですね~😆

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2.ゼブラバスの登場と現行塗装まで―

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戦後しばらくは戦前の塗色でGMCトラックを改造して走らせたりトレーラーバスを走らせたりしていました。画期的に変わったのは1959年の箱型ワンマンカー(上の写真)を製作する際に先に1954年にデザイン統一を図った大阪市営観光バスの群青色or赤色の生地に8本の縞模様を入れたデザインを採用したことが好評であったために、路線バスでは濃緑色にして6本の縞模様にしました。また、屋根部が白なのは車内温度を下げるためだそうです。(これは後の新塗装車にも引き継がれます)

窓下の帯の色が赤なのはワンマンカーである証であり、他にはツーマンカー、ワンツーマンカーの例もあります。日本初のワンマンバス運行!大阪市営バス! - マツダ交通の見たまま

この縞模様のデザインは「ゼブラバス」として1970年代頃まで使われてきましたが、バスのデザインの流行も過ぎてバス塗装の変更を望む声があがりました。実際には縞模様の塗装工程で手間がかかることや塗色が暗いためにスモッグの中で影が薄れてわかりづらいという事もあったため、1972年に登場して好評だった電気バスのあおぞら号の明るい緑とクリーム色の単純な配色、そして当時の大阪市営観光バスが採用していたスピード感を与えるために後部を斜め上にカットした斬新なデザインを採用した路線車専用の新デザインを1972年11月から約4年かけて塗装変更されました。ワンマンカーを赤だと帯で区別するためにしていたゼブラバスの塗装を廃すのも、1971年頃には全車ワンマンカーになったために区別する必要が無くなったというのもこの塗装変更の理由でもありました。

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1974年には平野エリアを中心にゾーンバス制度が実施され、一般路線用の車両とは別にゾーンバスエリアの支線系統での専用車両も配備しボディカラーを緑でなく赤色に変えて区別化していました。

f:id:Matsuda_KOTU:20210405132624j:image[支線系統専用車]

しかし、この塗装車は10年も経つことなく現行のデザインに切り替わります。

 

1979年に「市内に緑を」の合言葉をもとにクリーム地に緑色の太い帯と細い帯を1本づつ配色した塗装になりました。今ではどこでも見られるデザインの車ですね!

f:id:Matsuda_KOTU:20210405142657j:image[1986年式 日野P-RJ系]

f:id:Matsuda_KOTU:20210405151837j:image[2009年式 いすゞエルガ]

また当時の大阪市営バスは極度に悪化したバス事業財政の再建を図るために行った1979年7月の大規模なバス路線系統再編成で再スタートを切る節目の年にこのような塗装の変更があったため、かつての市バスを刷新させるという意図があったようにも思えます。

また、1990年代に入っては環境にやさしいバスの導入を積極的に行い、低公害車天然ガスノンステ車などが導入された際には他の車両と区別させるために「澄み切った空」をイメージとした「青色」が採用されました。

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余談ですが、2000年~2013年まで存在した赤バス遠くから見てもすぐに判別しやすいようボディ全体を明るく暖かみのある赤色にしていたようです。

 

そして、2018年に民営化されたことで新たなスタートを切りこのような新しい変化があったわけです。

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つまり、〝「大阪のシンボルとしての路線バス」としてこれまで長年親しまれてきた車体のグリーン〟というのはゼブラバスからではなく1940年の青バス統合時からだったということが分かります!ただ本格的に親しまれたというのなら、「ゼブラバス」と愛称のついた1959年からになるのでしょうね。

それでも60年以上の歴史があるんですから半世紀を超えるほど長いものだと思います。😌

 

最後に……

今回の新塗装車の登場は1979年の更新から41年ぶりで、新デザイン車の登場以降は車両更新に合わせて置き換えられ、全車が新しいデザインになってしまいます。40年ほども現行塗装で走ったのですから、いざ無くなるとなると「悲しい」と声が上がるのはどうしようも無い話ですがいつかは慣れるものです。オレンジカラーの東武バスやグリーンカラーの都営バス(2世代前)だって大昔はどちらも青色だったのですから、いつの間にか慣れているものなんでしょう。

服のファッションと同じようなもので、バスにもトップモードがあるわけですから時代にあったような塗装が今後もあちこちで一新されていくのかもしれませんね。

ですが、現行塗装が消滅して新デザインが見慣れる頃になってからは「昔はあんなカラーだったなぁ…」と懐古したいものです笑

 

では👋🏻

大阪メトロの路線図を分析してみた!

こんにちは😃

今回は珍しく鉄道の小ネタ。とはいっても電車や列車が出てくるわけじゃないんですけど。

つい最近にOsaka Metro・シティバスのご案内にある地下鉄路線図を見ていると何だか色々な発見があり面白かったので、以前の市営交通ご案内で使われていた頃の路線図と比較して記事にしてみました。中には推測も兼ねていることも多々ありますので、そこはご了承いただけますと幸いです笑😅

 

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[大阪メトロの路線図(←粗くてすいません💧)]

路線図|Osaka Metro

↑リンク先と同様のものです。

 

過去とはどう違う?

f:id:Matsuda_KOTU:20210314222040j:image[2014年10月当時の旧版路線図(市営交通ご案内)]

たとえば、上記の旧版の路線図と比較してみますと…

大きな違いと言えば路線図の背景としてに大阪の地形が合わさったことで場所が分かりやすくなったこと。

大阪湾や淀川、咲洲夢洲などがあることで極論を言えば「地下鉄に乗って海が見たいけどどこに行けば見れるかな?」となれば、中央線やニュートラムに乗れば行けることが分かります。それに、大阪の大幹線である大阪環状線も他社線よりも太線で強調されたことによって分かりやすくなった気がしますね。😆

他にあげるとすれば…

  • 駅名に英語表記が追加された
  • 相互直通区間という凡例を無くした
  • 駅ナンバリングのデザインをフォントのみの着色から枠内全体での着色に変更にして見やすくした。※1

などが発見出来ました!

 

※1

f:id:Matsuda_KOTU:20210316130015j:image[過去の駅ナンバリングデザイン]

f:id:Matsuda_KOTU:20210316130009j:image[文字をかたどるかのように枠内自体にラインカラーを塗り、枠内の色の濃淡によってフォントの色も白か黒で配色されている事で見やすい]

 

実は駅ナンバリング関連での変更はもう一点あるのですが、

「そもそも駅ナンバリングって何だ?」

「これは一体どういう意味があるのか?」

とあまりしっくり来ないと思います。

そこで次からは特徴などを紹介しつつ、もう少し掘り下げてみてみましょう。

 

駅ナンバリングについての謎

駅ナンバリングとは、インバウンド(海外からの観光客)などの現地の言葉に疎い人たちに対して世界的に普及しているアラビア数字やラテン文字などを活用して駅を識別しやすくさせるために用いる駅の番号のことです。

梅田だとM16天下茶屋だとK20と電車に乗っていれば英語での車内放送で必ず聞いているはずです。笑

大阪メトロでは大阪市交通局時代の2004年7月1日に採用されました。

 

しかし、ここの駅ナンバリング(以降、駅番号として説明)はけっこう独特なのです。

まずは……

f:id:Matsuda_KOTU:20210314224547j:image[大日の駅番号はT11]

f:id:Matsuda_KOTU:20210315111913j:image[名古屋市営地下鉄桜通線名古屋駅の駅番号はS02、終点の中村区役所はS01]

 

名古屋や仙台、京都などの地下鉄では起点駅の駅番号が「01」から始まるのに対し、なぜか大阪メトロだけは、ほとんどの路線が「11」から始まるのです。

 

これは、将来地下鉄が延伸することになった場合で大規模な番号変更を伴う事のないように対応できるようにしたこと。まぁ、10駅なんてさすがに作らんだろうし余裕もって11スタートで!っていう形ですね。

ちなみに千里中央M08であるのは北急の路線であるため、実質的な御堂筋線としては江坂のM11が基準になっていますし、かつてOTSテクノポート線などであったコスモスクエアやトレードセンター前に至ってもニュートラム側は中ふ頭(P11)が、中央線は大阪港(C11)が基準になっています。

路線図や各駅ホームの駅名表示などに記されている記号・番号は何ですか?|よくあるご質問|Osaka Metro

ちなみに御堂筋線がM、谷町線がTになるのは「み→Mi→M」「た→Ta→T」とイニシャルから取っています。また堺筋線がK、ニュートラムもとい南港ポートタウン線がPであるのは先行の千日前線(S)や長堀鶴見緑地線(N)があるために避けていたようです。

 

~余談~

いまのような路線図になるためにこれまで地下鉄はどのような路線図を作ってきたのかを紹介していきます。

―――1969年頃は?

f:id:Matsuda_KOTU:20210316120803j:image[1969年9月当時の路線図]

ラインカラーを交えたカラフルな路線図、もうあったのですね!

この頃は万博開催を控えており、複数の路線区間が建設工事中だったために細線が結構見受けられます。まだ御堂筋線谷町線など路線に愛称が付く前であったために1号線の①や2号線の②と番号のみで振り分けられています。

駅もまだ少ないので見やすいです。😃

 

―――1983年頃は?

f:id:Matsuda_KOTU:20210316120723j:image[1983年当時の地下鉄路線図(市営交通ご案内にて)]

駅もずいぶんと多くなったためにより複雑になっていることが確認できます。これでは観光客やインバウンドなどには読み取るのも厳しいような気もします。

当時はインバウンド向けにも分かりやすいように英語で記された普通券料金表が設置されており、駅名が書かれた上にローマ字で表していました。

うーん。見慣れているのか、やはり現在のような路線図が私にとっては好みになりますね。

 

閑話休題。。。

 

さて、先程の駅ナンバリングの謎についての続きですがもうひとつ発見がありました!

2つの線の通る交差駅(大国町を除く)での駅番号の付き方が新旧では変更があるんですよ。と言いますと

f:id:Matsuda_KOTU:20210315003910j:image[旧]
f:id:Matsuda_KOTU:20210315141936j:image[新]

中央線をピックアップして見ていただきたいのですが、新ver.では堺筋本町谷町四丁目などの中央線の駅番号が全て上、堺筋線谷町線の駅番号は下にきています。総括してみると…

東西に結ぶ路線→交差駅では優先的に駅番号がにくる

南北に結ぶ路線→交差駅では優先的に駅番号がに来る

 

ことがわかります。

しかし、新旧と比較してみると谷町九丁目の方の駅番号の位置ですが、上下が逆転していることが確認できませんか…?🙄

これはおそらく新ver.とは違った基準が設けられていたと思われます。

 

では、旧ver.は何を基準にしていたのというと、私の推測ですが、駅が新設された時に通っていた号線の色を優先的に上にしていると思われます。

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例えば、天王寺駅谷町線よりも御堂筋線が先に開通したため、駅番号は御堂筋線(M)が上に来ます。長堀橋駅も同様に長堀鶴見緑地線よりも堺筋線が先に開通していたために堺筋線(K)が上に来ます。

このように原則としては駅で一番最初開通した路線の駅番号が優先的に上になっているのです。

ただ、例外があるんです。

それが堺筋本町天神橋筋六丁目、そしてコスモスクエアこれは何ともややこしいのです。

堺筋本町は、堺筋線と中央線が同時開業しているため先に通っていた号線で付帯するのは難しい話です。そこで計画路線という話でいけば、中央線(第4号線)が堺筋線(第6号線)よりも先に計画されていたので、中央線が上に来ます。

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天神橋筋六丁目谷町線よりも堺筋線が先に開業しているのにも関わらず、なぜか谷町線の駅番号が上に来ています。

これもまた、計画路線を加味した上では谷町線が先に計画されていた区間であるために優先的に上になったのかと思われます。

 

コスモスクエアはもともとOTS線の駅でありましたが、2005年に交通局に移管されたことで中央線・南港ポートタウン線になりました。この時すでに駅ナンバリング化を実施していました。しかし、これといって納得のいくようなことが思いつきませんでしたが、恐らく高速鉄道(中央線)の駅番号が中量軌道(ニュートラム)よりも優先的に上に置いたのだと思われます。

 

これらのように新ver.では、駅番号の位置やデザインをより単純化させたことで見やすくなったような気がしますね。☺️

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いかがでしたか。私が発見できたのは上で述べた通りですが、もしかすればまだまだ知らないことがあるのかもしれません笑

やはり歩きなれないような街を観光するには路線図というのは欠かせませんよね。今の路線図はインバウンドを含めたツーリスト向けにとっても優しくなった気がします。

旧ver.の路線図は完全に消滅したわけではないですが、いずれは現在の路線図に統一されるはずです。

とはまぁ、新旧で見比べてみるとこんなに変化があったとは驚きなものです。語彙力のない感想になりますが、いやー路線図ってすごいですね~!😊

 

では👋🏼