マツダ交通の見たまま

主に大阪シティバスの小ネタや歴史をディープに掘り下げる考察系ブログです。

大阪シティバスの系統番号のナゾ。

こんにちは😃

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大阪シティバスの1号系統といえば、あべの橋出戸バスターミナル間を運行する路線。まぁ、少し前なら地下鉄動物園前~出戸バスターミナル間を運行する路線ですね。

でも、何故この路線が1号系統なのかと思いませんか…?(私は思いました。🙄)

なので、過去の1号系統をざっくりと遡りつつ系統設定の構造を探っていきます。

 

▷▶︎1936年▷▶︎

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まずは昭和初期の1936年に遡ってみます。見えづらいですが、当時の1号系統は桜橋~上六~あべの橋間を運行する路線と見て取れます。

当初は桜橋~上本町六丁目間(1927年5月新設)でありました。

ちなみに市バスが初めて運行したあべの橋~平野間(1927年2月新設)はこの4号系統にあたります。

この系統付番の設定は基本として路線が開設された順番になっています。ただ、4号系統の路線がなぜ1号系統と称さなかったのかは不明ですが、その当時は付番そのものが無かったのかもしれません。

 

▷▶︎1943年▷▶︎

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太平洋戦争真っ只中の1943年はこれでもかなり路線が休止になっていますが、系統は欠番がありながらも54号系統まであります。

当時の1号系統は阿部野橋堺東駅前ですね😁

実は1936年から1940年の間には2度にわたって系統編成があり大幅に系統番号が変わりました。特にこの1940年に至っては青バス(大阪乗合自動車)路線の継承があったため1940年には51号系統(玉川町4~桜島)までありました。この系統付番の特徴は、あべの橋発着路線を軸にして反時計回りに系統が付番されているのです。

※ちなみに1945年の終戦時には8系統に減らされています。

 

  • この基準で設定された系統路線(2020年現在)

9号系統(平野区役所前~出戸バスターミナル)

12号系統(布施駅前~あべの橋)

13号系統(北巽バスターミナルあべの橋)

36号系統(大阪駅前~地下鉄門真南)

37号系統(大阪駅前~井高野車庫前)など

(過去の多少の起終点変更・区間変更を含める)

 

▷▶︎1953年▷▶︎

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トロリーバス1号線設置直前の路線図です。まだ41号系統が残っているんですね~(詳しくは下のリンクにてお願いします。)

大阪市バスに存在した神崎橋行きを語る - マツダ交通の見たまま

系統付番の設定は変わらず反時計回りの方式を取っていますね。また、1号系統は大阪駅前~我孫子道となっています。50番以降は1936年当時のような新設した順番で付番されています。また、同じエリアで同時期に複数の路線が新設した場合は連続して系統が付番されます。

例↓

56号系統(天六~酉島町) 54年12月新設

57号系統(天六~佃町6) 54年12月新設

この路線図には49号系統までありますが、かなり番号がとんで101号系統(大阪駅北口~駒川町6)と102号系統(大阪駅北口~平野京町1)があります。これはトレーラーバスが運行する路線であるため区別したものだと思われます。

▶︎余談ですが、木津営業所はトレーラーバス車庫を設けるために開設したのですよ~🙄

 

追記

その後も系統番号は出来るものの番号が若干とびながらも付番され、とばされた番号は後に新路線開業時に埋められつつ、多くの路線が誕生しました。系統番号は徐々に膨らみ、100番台になる頃には先に100号系統をとばし、既存の101、102を飛ばして103号系統が作られました。103号系統開業時(1964年)には101、102はトレーラーバスの運行はしておらず、他の一般路線と同じ普通のバス車両が運行していました。(←ちなみに100号系統は1970年に開業)

それ以降では、110号系統(1968年12月?開業)までが開業しています。

 

110号系統以降の番号ですが、111号系統(あべの橋豊中)や112号系統(野田阪神前~豊中インターチェンジ)などは郊外線として付番される形となり、111号系統開業の1960年4月にはまだ77号系統しかありませんでしたので、その頃から郊外線では無い一般路線の系統番号の付番は110番までと決められていたと思われます。

 

郊外線で111や112の他には、

121号系統(あべの橋~南衣摺経由 八尾市役所前)

122号系統(あべの橋太子堂)

130号系統(大阪駅前~八番)

136号系統(大阪駅前~諸福経由 住道駅前)

 

がありました。

150号系統(なんば~安田)というのもあったのですが、どういう理由でこの系統番号が付番されたのかは不明です。。(現在も調査中)

《追記終わり》

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[郊外線の豊中線(111号系統)や110号系統が記載(1969年頃の路線図)]

 

  • この基準で設定された系統路線(2020年現在)

79号系統(桜島駅前~西九条)

86号系統(布施駅前~上新庄駅前)

88号系統(大阪駅前~天保山)

91号系統(ドーム前千代崎~鶴町4)など

(過去の多少の起終点変更・区間変更を含める)

 

▷▶︎1980年▷▶︎

f:id:Matsuda_KOTU:20201205223734j:image[幹線1号系統 出戸バスターミナル~地下鉄動物園前(深緑色)]

1974年に平野区でゾーンバス制度が始まり、系統路線もかなりややこしくなりました。1979年には殆どの地区でゾーンバス制度が導入されました。実はこの制度が始まった際に現在の1号系統(出戸バスターミナルあべの橋)が誕生し、幹線1号系統として運行していました。

  • ゾーンバス制度を基準に設定された系統路線(2020年現在)

2号系統(長吉長原東3~出戸バスターミナル)

3号系統(出戸バスターミナル~地下鉄住之江公園)

6号系統(あべの橋住道矢田)など

(過去の多少の起終点変更・区間変更を含める)

 

f:id:Matsuda_KOTU:20201206154620j:image[1号系統 天満橋あべの橋(黄色)]

また、当時はこのような系統と別に一般の1号系統(天満橋あべの橋)が存在しており、これはゾーンバス終了時には101号系統に改番されています。なお現在は98号系統より先はありません。(2014年3月までは存在。)

 

その他の例

その他のケースでは、廃止になった系統路線はもちろん系統番号が欠番となってしまうのですが、何年か経って別の路線同士の統合などで新路線を設定したり単に系統番号を改番した時に欠番だった番号を使用する例もあります。

  • このような例で設定された系統路線

8号系統(なんば~大阪駅前)

10号系統(天満橋~守口車庫前)

27号系統(相川駅前~井高野車庫前)

81号系統(舞洲スポーツアイランド~西九条)など

また特別な例としては44号系統忌み番号として扱われていたような時期があり、1940年6月の青バス路線継承で築港桟橋(現:天保山)~阪急阪神前(現:曽根崎警察署)~築港桟橋の路線新設の際に44番と付番されましたが、1941年に実質的に廃止になりました。しかも1974年の天保山~南港東5~南港フェリーふ頭前の路線新設まで44番の数字は一切使われなかったのです。

44号系統は2014年9月に廃止となり、再び欠番となっています。

 

●まとめ●

このように大阪シティバスの系統番号は「反時計回り」「路線新設の順」「ゾーンバス制度の絡み」など様々な決まりで構成されています。

たとえば、反時計回りで決められた系統番号の路線から見えてくることは、かなり古くからあったことが窺えます🙂

なぜ1号系統なのかも、由来がゾーンバス制度が始まった幹線1号系統から来ているということもわかりました!

この先、大阪シティバスダイヤ改正で新路線ができたりするのかもしれませんが、その際に欠番になった番号を使用するのか全く変わった決まりで系統番号を付番するのか要注目です。😅

 

では👋🏼