マツダ交通の見たまま

主に大阪シティバスの小ネタや歴史をディープに掘り下げる考察系ブログです。

大阪市バスの行灯標柱を探して…

こんにちは、最近は地方のバスネタを書いていましたが、久しぶりに大阪市交ネタを書いていこうと思います。

ええ、今ではほとんど見かけなくなった行灯(あんどん)標柱のことです。ただ少しマニアックな内容なので

 

そもそも行灯標柱って何だ…?

f:id:Matsuda_KOTU:20180719203527j:image◀︎行灯標柱

そもそも行灯(あんどん)標柱とは何だ?と思われますが、大阪市営バスが1970年頃に設置した電照式のバス停標柱のことで、標柱の形がまるで行灯のように見えることから“行灯標柱”と呼ばれました。

 

それ以前

f:id:Matsuda_KOTU:20180719183323j:image◀︎少し高い位置に案内板がある

行灯標柱登場前の標柱はなんば停留所で確認することが出来ます。こちらも電照式で、当時は乗り場案内として経由地、行き先のみが書かれているだけでした。また、郊外では木製標柱が多く見られました。

しかし、高速などの道路整備や地下鉄の延伸、マイカーの増加により渋滞を招き、乗客は減って経営の悪化に繋がってしまいます。そこで困った大阪市営バスは乗客サービスの一環として、1973年に木製標柱を金属型標柱と行灯標柱に取り替え、そしてあの緑色の日除けテント設置もこの頃でした。そして、もともと存在していた行灯標柱も字を大きくしてわかりやすくしたり、灯りが付かない標柱もあったため、電気工事を行ったりして夜間でも機能できるようになりました。

現在は接近表示機能のついた標柱が多く存在し、10年前はまだ若干残っていた行灯標柱もわずか、残り4基といったところです。

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よく見かけるとすれば曽根崎警察署前停留所でしょうか。民営化後でもしぶとく残っています。

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また別の停留所では、掠れていますが文字が残っています。こんなものが何十年も残っていると思うと面白いですね。

 

まとめ

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大阪市営地下鉄大阪市バスが民営化して3ヶ月経ち、コマルマークやヒゲ文字の標識の撤去も進んでいます。たしかに記録もしたいものですが、上で紹介した行灯もいつ無くなってもおかしくないものですから、こちらの記録も今のうちなのかもしれませんね…😢

 

こちらの記事では行灯標柱2基を取り上げましたが、残りの2基はあえて載せません。(←おい)

場所のヒントは2基とも四つ橋線(駅名にとつく駅)の駅の近くにあります。

もし興味がありましたら探してみてください!☺️

 

それでは👋🏼