マツダ交通の見たまま

主に大阪シティバスの小ネタや歴史をディープに掘り下げる考察系ブログです。

大阪花博道路の遺構と旧心斎橋を訪問しました。

こんにちは😃

先日は鶴見緑地に行ってきました。

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花博記念公園鶴見緑地は、もともと第二次世界大戦での空襲被害が起きた際の避難場所として1941年に防空緑地に指定されたもので当時は水田と蓮の栽培が頻りにあるだけだったようです。戦後になっては地下鉄建設で出た残土を泥地にうずたかく積まれて整備され、1972年4月より鶴見緑地として本格的に開園しました。大芝生が出来たのもこの年です。

十数年後には1990年4月~9月末まで開催された国際花と緑の博覧会(EXPO'90)」のメイン会場になりました。

 

花博の開催後には花博記念公園鶴見緑地として再整備され、もう31年経ちました。

そんな花博跡地を望むことができるのは守口市高瀬旧大枝咲くやこの花大阪市鶴見区緑地公園のいのちの塔などありますが、あまり知られてない花博アクセス道路の遺構が今も存在します。

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地図の赤枠で示された部分がまさに遺構の地点、この付近には花博会場西ゲートがありました。

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緑地西橋南側に来ました。ランニングにはうってつけの平坦な道ですね。

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左側には道路があります。

しかし、私が立っている道もかつては車が通るような立派な道路だったのです。左の植え込みも中央分離帯として役立っていましたが、緑地とあって上手いこと隠せていますね笑

 

この先の緑地西橋も中々の見もの。

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緑地西橋自体は鶴見緑地改装(西ゲートアクセス道路)として1989年に作られたのですが、トラス型の鉄橋(橋梁の外側)の部分はもともと1873年の心斎橋に架けられたもので、日本では現存最古の鉄橋とされています。

明治時代に架けられた心斎橋はその後も境川橋、新千船橋、鈴懸橋(鶴見緑地公園内)として転々としましたが、現在はこの地で道路橋として役割を果たしています。

f:id:Matsuda_KOTU:20210507114427j:image[緑地西橋東詰には鉄橋の由緒が記された碑文がある]

f:id:Matsuda_KOTU:20210507115548j:image[親柱には橋の名称と花博のシンボルマークが刻まれている]

 

f:id:Matsuda_KOTU:20210507120304j:image[奥にある中央第一駐車場]

他の遺構では、鶴見緑地中央第一駐車場が花博シャトルバスのターミナル跡だったりしますが、名残が全く無く確認できるのは航空写真で見た区画ぐらい。他にもあるには有るのですが、当時の面影が十分にある遺構というのは緑地西橋付近を縦貫する道路くらいなのでしょうね…🙄

 

では👋🏻