こんにちは😃
昨秋に大阪シティバスの新塗装発表があり、12月頃には酉島・鶴町営業所には緑・白・青を基調にあしらった車両が導入されました。
路線バスのデザインを41年ぶりに刷新します(2020年8月28日発表) | 大阪シティバス株式会社
[大正橋にて]
おフランスを想起するトリコロールの新デザインは斬新なデザインで、見るからにこれまでの市バスとは違うような大きく衣替えしたような姿となっています。ちなみに新デザインにはこのような意味があります。
Osaka Metro Group全体のデザインを統括する奥山CDO(チーフ・デザイン・オフィサー)の監修によりデザインした新しい車両は、「大阪のシンボルとしての路線バス」としてこれまで長年親しまれてきた車体カラーのグリーンを踏襲し、「市民生活に根ざした路線バス」として、信頼、安心を象徴したホワイト、また「未来の大阪へ走る路線バス」として、港町・大阪の海、大阪シティバスとOsaka Metroを象徴するブルー、これらをこれまでの40年からこれからの未来へ、時代の扉を開いて前進する様子を斬新な縦グラデーションで表現し、皆様に愛されるバスを目指してデザインしました。
[路線バスのデザインを41年ぶりに刷新します(2020年8月28日発表)より]
今回の新デザインでは現行塗装のグリーンを〝「大阪のシンボルとしての路線バス」としてこれまで長年親しまれてきた〟を理由に踏襲したとありますが、実際にどれくらい長く親しまれてきたのかをこれまでの大阪市営バスが採用してきた塗装を踏まえて紹介していきます!
1.草創期は緑ではなかった。
え、最初から緑色じゃなかったの?とズッコケる方もいらっしゃるでしょうが、緑じゃないんです。
[石川島造船所(→いすゞ)製のウズレー]
1927年2月26日に開業した阿部野橋~平野間を走った大阪市営バス(現:大阪シティバス)はウズレーを筆頭にインターナショナルやダットなどの車が導入されたのですが、ボディカラーは緑色でなく藍色でした。
後に市営バスと対抗することになる、一足先に開業した大阪乗合自動車の塗装は青塗りだったことで青バスと呼ばれていました。
さらに1929年9月、堺筋・四つ橋筋(当時は南北線)の乗り入れに合わせて、青バスと対抗するように銀色にまとった新造車が走ったことで、市民から「銀バス」の愛称を受けました。当時の局長が乗り入れによる本市の思いと喜びを詩に託し『銀バス行進曲』(譜は道頓堀行進曲)なるものが制作されました。
銀バス行進曲
1. 永い月日の思いがとどき 晴れて通ふや銀のバス
2. 粋な姿の銀バス通ふ 街もひとしほ[一入]堺筋
(くりかえし)
3. 秋のおとずれ南北線に 通いそめたる銀のバス
(くりかえし)
4. 乙女おもわすあの銀バスに 心ひかるる市の人
(くりかえし)
5. 色もさやかな白銀バスの 窓にゆかしき乗馬服
(くりかえし)
1940年には青バスとの統合により窓上を銀色、下部は緑色の二色としましたが、配色が悪かっため翌年には窓上はクリーム色になり、ゼブラバスの登場までは大体はこれが基調になっていました。塗装に緑を使用したのはこの頃からなのですね~😆
2.ゼブラバスの登場と現行塗装まで―
戦後しばらくは戦前の塗色でGMCトラックを改造して走らせたりトレーラーバスを走らせたりしていました。画期的に変わったのは1959年の箱型ワンマンカー(上の写真)を製作する際に先に1954年にデザイン統一を図った大阪市営観光バスの群青色or赤色の生地に8本の縞模様を入れたデザインを採用したことが好評であったために、路線バスでは濃緑色にして6本の縞模様にしました。また、屋根部が白なのは車内温度を下げるためだそうです。(これは後の新塗装車にも引き継がれます)
窓下の帯の色が赤なのはワンマンカーである証であり、他にはツーマンカー、ワンツーマンカーの例もあります。日本初のワンマンバス運行!大阪市営バス! - マツダ交通の見たまま
この縞模様のデザインは「ゼブラバス」として1970年代頃まで使われてきましたが、バスのデザインの流行も過ぎてバス塗装の変更を望む声があがりました。実際には縞模様の塗装工程で手間がかかることや塗色が暗いためにスモッグの中で影が薄れてわかりづらいという事もあったため、1972年に登場して好評だった電気バスのあおぞら号の明るい緑とクリーム色の単純な配色、そして当時の大阪市営観光バスが採用していたスピード感を与えるために後部を斜め上にカットした斬新なデザインを採用した路線車専用の新デザインを1972年11月から約4年かけて塗装変更されました。ワンマンカーを赤だと帯で区別するためにしていたゼブラバスの塗装を廃すのも、1971年頃には全車ワンマンカーになったために区別する必要が無くなったというのもこの塗装変更の理由でもありました。
1974年には平野エリアを中心にゾーンバス制度が実施され、一般路線用の車両とは別にゾーンバスエリアの支線系統での専用車両も配備しボディカラーを緑でなく赤色に変えて区別化していました。
[支線系統専用車]
しかし、この塗装車は10年も経つことなく現行のデザインに切り替わります。
1979年に「市内に緑を」の合言葉をもとにクリーム地に緑色の太い帯と細い帯を1本づつ配色した塗装になりました。今ではどこでも見られるデザインの車ですね!
[1986年式 日野P-RJ系]
[2009年式 いすゞエルガ]
また当時の大阪市営バスは極度に悪化したバス事業財政の再建を図るために行った1979年7月の大規模なバス路線系統再編成で再スタートを切る節目の年にこのような塗装の変更があったため、かつての市バスを刷新させるという意図があったようにも思えます。
また、1990年代に入っては環境にやさしいバスの導入を積極的に行い、低公害車や天然ガスノンステ車などが導入された際には他の車両と区別させるために「澄み切った空」をイメージとした「青色」が採用されました。
余談ですが、2000年~2013年まで存在した赤バスは遠くから見てもすぐに判別しやすいようボディ全体を明るく暖かみのある赤色にしていたようです。
そして、2018年に民営化されたことで新たなスタートを切りこのような新しい変化があったわけです。
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つまり、〝「大阪のシンボルとしての路線バス」としてこれまで長年親しまれてきた車体のグリーン〟というのはゼブラバスからではなく1940年の青バス統合時からだったということが分かります!ただ本格的に親しまれたというのなら、「ゼブラバス」と愛称のついた1959年からになるのでしょうね。
それでも60年以上の歴史があるんですから半世紀を超えるほど長いものだと思います。😌
最後に……
今回の新塗装車の登場は1979年の更新から41年ぶりで、新デザイン車の登場以降は車両更新に合わせて置き換えられ、全車が新しいデザインになってしまいます。40年ほども現行塗装で走ったのですから、いざ無くなるとなると「悲しい」と声が上がるのはどうしようも無い話ですがいつかは慣れるものです。オレンジカラーの東武バスやグリーンカラーの都営バス(2世代前)だって大昔はどちらも青色だったのですから、いつの間にか慣れているものなんでしょう。
服のファッションと同じようなもので、バスにもトップモードがあるわけですから時代にあったような塗装が今後もあちこちで一新されていくのかもしれませんね。
ですが、現行塗装が消滅して新デザインが見慣れる頃になってからは「昔はあんなカラーだったなぁ…」と懐古したいものです笑
では👋🏻