マツダ交通の見たまま

主に大阪シティバスの小ネタや歴史をディープに掘り下げる考察系ブログです。

昔の近鉄バス、大阪~近鉄奈良駅あれこれ

こんにちは😃

今回は近鉄バスの話。

大阪から奈良までを結ぶ路線のあれこれを取上げます。

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近鉄バスが大阪~近鉄奈良駅方面に向かう路線ではどんなものがあったといえば、梅田から阪奈生駒線を経由して近鉄奈良に向かっていたというのが有名な話ですが、実は他にも何種かありました。

今回はそちらを紹介していきます。

f:id:Matsuda_KOTU:20210110002141p:image«1950年頃の路線図(独自調べ)»

 

当初は阿部野橋から河内国分、王寺を経て近鉄奈良までに至るルートです。これは近鉄バスが奈良までを結ぶ草分けとなりました。

まず、阿部野橋~平野元町6丁目間は大阪市との運輸協定区間(1948年4月1日運行開始)であり、阿部野橋に乗り入れたのはちょうどこの頃。それまでの平野元町6からは柏原大和橋などの運行をしていました。

また国分駅前~光洋精工前は1945年時点では独立して運行していました。(後に柏原大和橋まで延長するも休止)

1949年4月に王寺駅前~近鉄奈良間を奈良交通との乗り入れ協定の際には柏原大和橋~光洋精工前の復活、光洋精工前~王寺駅前の延長を果たして近鉄バスとして初めて大阪~奈良間を結ぶ路線が誕生しました。

その後、内本町バスセンター及び折り返しとしての本町バスセンターが1953年に設置されると、本町四丁目~阿部野橋に延長されました。f:id:Matsuda_KOTU:20210110005758j:image«本町バスセンター(奥の路線図下部には近鉄バス国分ルートの奈良線が掲載)»

f:id:Matsuda_KOTU:20210110004254p:image«1960年頃の路線図(停留所は概略)»

そしてようやく阪奈生駒ルートの奈良方面行きの便の話になりますが、誕生したのは1959年6月10日に本町四丁目~阪奈道路経由、奈良公園間(直通急行バス)が新設。近鉄バスに詳しい方ならばお気づきですが、日本初の二階建てバスであった日野+近畿車輛のビスタコーチが走っていた路線でもありますね。

1961年には梅田にも乗り入れしたために本町四丁目のみならず梅田からも便が出ており、さらに奈良ドリームランドが開業してからは奈良公園奈良ドリームランド間に延長して運行していたそうです。(開設・廃止時期不明)

ちなみに生駒登山口~生駒山上間は1958年8月の開設で阪奈道路が開通する少し前でありました。

開設当時の阪奈道路は有料道路であり、当初の運行区間も若干違って奈良ゴルフ場からは国道308号線を通り尼ヶ辻、国鉄奈良・油坂(駅)を通って近鉄奈良に向かうというもので、後に新大宮駅経由に変更されています。(変更時期不明)f:id:Matsuda_KOTU:20210110012355p:image«停留所は概略»

 

しかし60年代後半は次第に衰退が見えるようになり、1970年1月には内本町バスセンターが閉鎖されたことで近鉄バスは本町4丁目に乗り入れることが無くなりました。王寺~奈良乗り入れもこの頃に無くなっています。(1969年8月23日に奈良交通王寺営業所が廃止)

また、奈良公園行きも1980年までには廃止になっています。

1980年からは後者の阪奈道路経由の近鉄奈良行きのみが大阪~奈良駅を結ぶ唯一の路線として存在したのです。

 

では👋🏻