マツダ交通の見たまま

不定期ですが、バスの情報を見たまま紹介しています!

南海バスはなぜ難波まで行かないの?

どうも、いつの間にか春とは言えないくらいの暑さが続いて辛いです。〝はてはて本当に春なのかしらん?〟そんなことを考えながら、今回の記事を考えていると…

戦前の大阪市内を走る民間バスの路線図の見たまま!(Part.6) - マツダ交通の見たまま

実は上の記事で紹介した南海バスの件で「難波まで運行していない理由」をさらっと説明していただけだったので、今回はじっくりと説明していきたいと思います。

 

大阪市の姿勢

「戦前の大阪市内を走る民間バスの路線図の見たまま」シリーズのおさらいになりますが、大阪市市内交通(バスや電車)などといったものを民間会社に参入させない上で、市民の利益が最大になるために市が営業する方針をとる。いわゆる市営モンロー主義という政策を打っていました。さらに、都市計画のために巨費を出して市内の道路整備を徹底し、大きな利益を得ようとしていました。しかし、市内の道路整備の主要路線の1つである難波住吉線が開通することにより問題は起きます。

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↑黄緑色のラインが南海バス。また、大国町~住吉公園間が難波住吉線(現在の国道26号線)

 

②難波住吉線問題

昭和8年(1933)に難波住吉線(大国町~住吉公園間)が開通すると、大阪市の出願要請どころか、南海、阪堺、大阪乗合自動車(青バス)も出願し、競願という形で路線認可を望みました。そもそも阪堺が路線バスを始めようとしていたことに驚きですが…

しばらくして、当時大阪府知事であった縣忍が〝南海鉄道の沿線なので単独で路線認可されるべき〟と副申をしました。この不当な決定が市民を怒らせることとなり、新聞社は「無視された市民の公益」などと非難し、市民も市民大会を開いて自治権を擁護する運動を始めます。

これにより關一大阪市長が鉄道大臣宛に再陳情書を送り、市営バス単独認可を切に願っていました。

補足:市営バスは大阪市が出資、大阪乗合自動車(青バス)は民間ですが、大阪府や警察も絡んでいるようです。(だったはず)ですから、堺筋線四つ橋筋の乗り入れなどでも免許申請が認可されるまでに時間がかかったそうです。どちらにしろ市営バスも青バスもとても仲の悪いような関係でした。

 

そして、大阪市営バスのみ運行が認可され、大国町~住吉公園間が新設されました。ただ、1日に於ける往復回数の制限や折返し運転をしないこと、南海の将来的な市内バス路線新設の考慮などの条件をのんで運行されました。これにより事態が収束しますが、数年後には戦争勃発によりガソリンといった燃料制限がかかり、バス会社が徐々に圧迫されることになります。南海バスも結局、昭和17年(1942)に大阪市内で採算のとれない護国神社~住吉公園(住吉駅)間を大阪市営バスに譲渡してしまいます。これにより一時、南海バス大阪市内から脱退しました。

 

③戦後

市内線を脱退した南海バスは昭和23年(1948)に南海電気鉄道により合併し、事業を継続しました。そして再び市内乗り入れ希望があって花園町までの路線免許を取得希望としていましたが、色々あって念願の難波まで延伸されました。しかし、他の民間バス会社の市内乗り入れもあったからか、またまた乗り入れ問題が起こりました。とりあえず折り合いが付いて運輸協定が成立し、内本町バスセンター開設に伴い、南海バスも内本町バスセンターまで延伸することになりました。数年後には天下茶屋バス営業所の開設もあり、市内から郊外への路線も拡充され泉佐野や北野田、遠いところでは新和歌浦まで運行する路線もありました。

しかしいつの間にか廃れ内本町バスセンターが廃止、住之江公園に短縮され今に至ります。

 

まとめ

いかがでしたか?南海バスは一切難波まで乗り入れなかったわけではなく、こういうエピソードがあったのです。だいたいバス路線は意外と奥が深かったりするので面白いですね🙂

今回はとても難しい話題になりましたが、こういう背景があるからこそ、今が成り立っているのでは無いのでしょうか。

 

それでは👋🏻