マツダ交通の見たまま

不定期ですが、バスの情報を見たまま紹介しています!

戦前の大阪市内を走る民間バスの路線図の見たまま!(Part.6)

どうも、今回は6回目!ですが、今回でこのシリーズは終了です_(┐「ε:)_ズコー

 

前回↓

戦前の大阪市内を走る民間バスの路線図の見たまま!(Part.5) - マツダ交通の見たまま

 

今回は南海バスやその他の事業の紹介を一気にやっていくつもりなので少々長くなりますが、どうかお付き合いお願いいたします…😅

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まずは南海バスから

左下にある黄緑色の路線が南海バスにあたります。

護国神社前→住吉公園と書かれていますが、

正しくは住江公園~住吉公園(住吉駅前)になります。(ごめんなさい🙏)

この路線の経緯なのですが、またこれも複雑なんですよ。

もともと1930年10月に住江公園~住吉公園(西鳥居)間の免許を取得し、翌年3月に営業開始します。さらに、1933年7月には南海の住吉公園駅前まで延長されました。住吉公園には阪堺電鉄が接続、そこから堺に入ると南海の系列下のバス会社が存在し交通網は充実していました。

余談になりますが、この路線図を見て「南海バスは、なぜ天下茶屋や難波には伸ばしてないの?」と疑問に思われる方もいらっしゃると思いますが、もちろん難波へ行く路線も計画されていました。

1933年に難波~住吉間を結ぶ住吉線(現在の国道26号線)が開通し、路線バス営業申請が4社も申請していました。その中でも大阪市バスと南海バスがバチバチと火花を散らし、新聞にも取り上げられるほどの大問題にまで発展しました。結局は大阪市は条件付きで運行し、南海は残念ながら路線を走らせることは実りませんでしたが運輸協定の考慮などの優位な条件が付き、事態は収束しました。

 

話は戻りますが、住之公園~住吉公園(住吉駅前)の路線はしばらくは営業していたものの、1942年にこの路線は大阪市バスに譲渡、戦前の間は大阪市から撤退しました。ちなみにこの路線は戦後は復活しませんでした。

 

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次は摂河(せっか)自動車、ピンク色の路線にあたります。

・平野元町6→住吉神社

もともとこの路線は摂河自動車が運行していたのではなく、1928年に大阪タクシー會社が免許を取得した路線で、何回か別の事業者に渡って摂河が引き継いだのですが、1941年に関急バスに譲渡します。しかし、時代は戦争真っ只中ですぐ休止、戦後は復活せず廃止となりました。

 

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最後は大鉄バス、少し右寄りにある緑の路線にあたります。こちらは分けて解説。

①平野→出戸町以南

②平野→東瓜破以南

①は1928年に別の事業者が出戸町(舌戸)→藤井寺間を営業していました。翌年には平野に延長されていたものの、1931年に大鉄が引き継ぎました。しかし、1943年に関急との合併により路線は関急バスに引き継がれました。戦後は近鉄バスとして路線は復活したものの現在は廃止されています。

②も①と同じく1928年に別の事業者が東瓜破→河内松原間を営業し、翌年平野に延長され、①と同じ流れになります。この路線も現在は廃止されています。

 

大阪市内を走っていた民間バス事業者は以上になります。実は大阪市バスや大阪乗合自動車以外にもこんなにあったのです。まとめとしては、民間は市内の都心部の乗り入れはほぼ無しに郊外を走ることが多く、そのため起点には市電などの停留所に接続していること。モンローを唱う市の支配域と郊外で頑張る民間の努力が窺えます。何気ない路線でも歴史を紐解いていけば、意外と奥が深い路線だったりするのです!

 

今回でこのシリーズは終わりとなります。

それではまた👋🏼