マツダ交通の見たまま

不定期ですが、バスの情報を見たまま紹介しています!

戦前の大阪市内を走る民間バスの路線図の見たまま!(Part.4)

  久しぶりです。相変わらず寒いですね⛄

まだ地元に雪が降らないだけでも幸いな事ですが💦そんな寒さに負けずシリーズの続きをやりたいと思います。

前回↓

戦前の大阪市内を走る民間バスの路線図の見たまま!(Part.3) - マツダ交通の見たまま
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今回は京阪です。赤色の線が全てそうなんですがこれもややこしいんです。こちらも調査の折、情報がなかなか見つからず難渋するばかりでした。

前回と同様に分けて解説していきます。 

①今市町以東

②都島橋(東詰)→赤川町

天六→江口橋以東

 

①から行きましょうか、こちらはハッキリ言いますが今市町以東の開業年は詳しく分かっていません😓

経路の方は八番を経由し、今で言う京阪国道を直進し枚方・京都方面へ伸びています。

京阪バスの今市町停留所は大阪市外(守口町土居)でした、市内に延長するのは当たり前のことですが出来ないわけで、市電の接続として今市町を起点として置いているわけです。また、今市町以西は市と連絡を取っていました。交通もしっかりとしているわけですね。

  もともとは佐太付近が起点なのですが、後に京阪守口駅(現:守口市駅)に乗り入れています。この頃には京阪バス守口車庫も開設され、徐々に路線も拡張していきました。

戦後はさらに住宅などの狭隘な路線を走るようになりました。さらには、大阪市との運輸協定により京阪天満橋へ延伸、70年代には茨田大宮住宅の乗り入れ、豊里大橋開通による守口~阪急上新庄駅間の開設(1978年頃)もあって、より充実した感じでしょうか。

ちなみに今市~京阪天満橋間の路線は後に京阪京橋(1号系統)まで短縮されたものの2008年に廃止になりました。

 

②の方はもともと城北自動車商会という事業者が運行していた路線で、大正時代から存在していました。後に京阪に譲渡されましたが戦時中は休止扱い、戦後には廃止になりかけたものの、復活しました。(これ以降は資料が無いため不明です。)

都島橋が起点なのは市電接続もそうですが、沢上江二丁目(現在の地下鉄都島駅)付近に京阪自動車の教習所が存在していて路線が欠かせなかったのでしょうか、また営業所もあったという話があったのですが、まだこちらでは確認出来ていません…😓

にしても都島橋という中途半端な場所が起点で「なぜ天六に伸ばさないのか」と自分でも思いますが、こちらも市と連絡を取っていたのかもしれないですね。

 

③は京阪に詳しい方ならお分かりだと思いますが、新京阪鉄道の沿線ですね。天六を起点とし、茨木・高槻を経て京都方面へ伸びています。もともとは柴島~唐崎間で別の事業者が走らせていましたが、新京阪に譲渡されました。しかし、新京阪の経営難に京阪が合併したことにより、路線を受け継ぐことになります。また、京阪バス天六乗り入れはずいぶんと遅く、京阪が新京阪を合併した後に開設されています。それから次々と路線が開設され、面白いことに池田にも京阪バスが走るんですよね~😅

順調にバス路線が拡がるものの戦時中に色々問題が生じ、結果として戦後には新京阪沿線のバス路線は阪急が受け継ぐ形となりました。

 

京阪も謎はかなり多いものの、歴史を紐解いていくとけっこう深いですね。上部の路線図では今でも主要路線として残っている路線もあり、その路線の変遷を知った上でバスに乗車するのもまた格別ですね。

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  実はこの記事を昨日中に書き上げたかったのですが、書き終えた頃にはもう一日が終わっていましたー😂😂😂

次回は近鉄をやっていきたいと考えています。(相変わらず不定期ですが…)

では👋👋