マツダ交通の見たまま

不定期ですが、バスの情報を見たまま紹介しています!

戦前の大阪市内を走る民間バスの路線図の見たまま!(Part.1)

はてなブログは初めてでプロフィール設定では作業難航していました。慣れるといいですが…汗

というわけで、今回は大阪市内の民間バスでどんな路線が走っていたのかを解説していきます。(ほとんど今回は前置きになりますが…)大阪市内のバス事情に詳しい方はご存知だと思いますが、大阪市内で民間がバスを走らせるのは結構難しく、大通りや都市部に侵入することはほぼ不可能な話で(詳しくは市営モンロー主義を参照ください)、大阪市電接続目的で市電停留所を起終点にするのがやっとでした。

それでも厳しい場合は狭隘な道や郊外で走らすことが多いです。また、その中でも神社を起終点にするバス事業者も少なくはありませんでした。

さてとまずは…
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 これは、自ら作成した路線図で、1937年冬当時の路線図です。なぜ1937年冬にしたのかと言うと、簡単に言えば、大阪府内のバス路線の全盛期だったからです。詳しく言うと、市内では大阪市営バス(銀バス)と民間の大阪乗合自動車(青バス)の対立が激しく、運賃の値下げや抽選景品などの競争がありました。また、個人経営や小規模のバス会社が多く存在していました。しかし、ここから大阪の交通は大きく変わります。

 

1.日中戦争開戦

1937年7月に日中戦争が開戦します。これが

大阪の交通に大きく影響したんですよ。翌年にガソリン消費規制があり、大阪市営は大正区のほとんどのバス路線を休止、他のバス事業も路線改廃を余儀なくされました。

 

2.陸上交通事業調整法の公布

都市部ではやはり大手私鉄があるわけで、もちろん小規模の事業者を吸収合併するわけですが、利益を優先しすぎたことで疑獄事件にも発展することがあり、中小規模のバス事業者を吸収合併がしづらい背景にありました。

困った事業者が交通統合を旨とし法律の制定を要請し、1938年に実りこの法が施行されました。

私鉄は後に交通統合がやりやすくなったため、吸収合併が集中的に行われ、中小規模の事業者はほとんど見なくなります。

また大阪市営も青バスを買収することが仮決定し、1940年6月1日に完全統合されました。

 

はい、バス事情はとても奥深いのです。でもこの歴史を紐解いていくと面白いですね。「こんな場所に路線があったのか」とか「地元にバスが走ってたんだ」という発見があって、友達や家族にも自慢できたり…?()

まぁ、そんな背景があるということを頭に入れていただければ分かりやすくなると思います。

話も長くなったので今日はここで区切りたいと思います。次は市内を走る民間のバス路線を解説していきたいと思います。😊✨

ではまた~👋