マツダ交通の見たまま

不定期ですが、バスの情報を見たまま紹介しています!

浜南口と浜

今回はマニアックな話…

前回と同様に近鉄バスの話になります。

こんなこと思ってるの私だけなのかもしれませんが、大阪シティバスの浜停留所がある位置に近鉄バスの浜南口停留所があるという話。

個人的に疑問を持ってしまいまして、シティバスの浜の位置になぜ近鉄バスは浜南口があり、名称を統一もせずバラバラなのか?(同じく浜という名称で設置していればいいのに)😅

そこで…

近鉄バス浜南口について

・浜エリアの歴史あれこれ

について今回は話していけたらと思っております。

f:id:Matsuda_KOTU:20190124011134j:image浜南口停留所

f:id:Matsuda_KOTU:20190124013238j:image浜停留所

①浜南口についての疑問

浜南口といえば2009まで浜車庫(折り返し場)が存在していましたね。(懐かしい…)

まぁ、、浜の位置に浜南口があるってことはかつてもしかして近鉄バスの浜停留所も存在したのでは?

と気になってで調べてみたところ…

f:id:Matsuda_KOTU:20190124011400p:image〈1951年頃を想定して作成〉

緑>市バス 青>近鉄バス 黒>近鉄バス廃止路線

 

実は存在していました。後に説明しますが、浜南口停留所が出来た当初は未だ大阪市バス(現:シティバス)は走っておりませんでした。(1958年頃に鶴見町から安田まで延長した)

まぁ…この路線図だけ見てもイマイチぴんと来ないので、浜エリアの変遷を加えて説明していきます。

 

浜エリアの歴史 (戦後はざっくりと)

まず昭和3年(1928)5月に昭和自動車商会というバス事業者が徳庵駅~浜(浜線)区間の路線を開業。(←その頃から浜南口があったのかは不明)

そこから菊水自動車古川橋~浜(後に京阪バスに継承)区間の路線を開業します。

そして昭和12年(1937)10月に昭和自動車商会から浜線の路線を近鉄バスが継承することになります。

 

昭和15年(1940)12月11日には大阪市バス・近鉄バスとの乗り入れ協定が実施され、東野田町四丁目~住道大橋間の路線が開業します。(←途中の停留所に浜南口が存在しているのを確認)

浜線に至ってはいつ頃からか分かりませんが休止となっています。

またガソリン配給規制よる不足のために電気自動車を使用したために昭和17年(1942)5月に茨田浜町(当時)に浜充電所を設置していました。(>昭和27年(1952)年に廃止)

 

戦後は休止中の浜線が「通路が狭隘かつ一方通行になり運行が困難」だとして昭和25年(1950)頃に路線が廃止され、浜停留所も廃止されます。(京阪バスの古川橋~浜も同時期に廃止)

それ以降は

・吹田八尾線の運行開始(後に廃止)

・市バス 鶴見町~安田・住道延長(安田~住道は廃止)

などがありました。

最盛期は便数もかなりあり、発着路線も結構多かった印象ですが、段々と近鉄バスの浜エリアの路線縮小がされ浜車庫の廃止や減便、そして現在では全路線の休止がされ今では付近を走る姿を見ることができません。。

 

>>>結局は近鉄バスの浜南口停留所は市バスの浜停留所とは全く関係の無い話だったもので、かつて存在した浜停留所の南に位置した停留所が最近まで残っていたということになるんですね。(それにしてもかなり長い歴史です。)

 

まとめ

阪奈生駒線が休止になって約1年半経っており、停留所も寂しげな雰囲気を出しています。停留所についてこんなに語った記事はここが初めてですが、また機会があればして行こうかなと思います。。

今回参考にした資料でも不明な部分も多々あったので分かり次第また発信していこうかなと考えております。

 

それでは👋🏼

近鉄バス加美線

お久しぶりです。

今月に改編された近鉄バス加美線を撮り&乗り納めしてきたので紹介したいと思います。

http://kintetsu-bus.sphn.jp/news/detail.php?no=20181115185929

f:id:Matsuda_KOTU:20181228000509j:image

40号系統である加美線は布施から四条通・岸田堂・加美を経由して平野駅に至る路線であり、

加美北五丁目からは大阪シティバスの路線が重複している且つ大阪市域(平野区)に入るという近鉄バスでは数少ない市内乗り入れ路線です。

f:id:Matsuda_KOTU:20181228001448j:image[路線図]

しかし 最近になってはバスの利用客も減り、2016年には運行本数を減らしたものの、状態が変わらなかったようです。

そして今年2月に開業したJRおおさか東線の新駅である衣摺加美北駅が開業。利用客はますます減ってしまい、今回は路線短縮と経路変更という形になりました。

f:id:Matsuda_KOTU:20181228002652j:image[経路変更の様子]

f:id:Matsuda_KOTU:20181228002759j:imagef:id:Matsuda_KOTU:20181228002807j:image[休止される四条通と三ノ瀬停留所]

 

>加美線の歴史を見てみた

f:id:Matsuda_KOTU:20181228002943p:image[寿町1丁目交差点にて]

 

f:id:Matsuda_KOTU:20181228013242j:image

f:id:Matsuda_KOTU:20181228132104j:image[1950年頃の市バス・近鉄バス路線図]

[補足:緑ライン>大阪市バス 青ライン>近鉄バス]

元々の加美線は岸田堂や加美は経由することなく巽町(北巽や南巽)を経由するルートであり、鶴見町西口(現:鶴見西口)から布施・巽を経由して平野駅へ向かう路線が1950年(昭和25年)5月20日に運行を開始したのが最初です。それ以前は大阪市バスが買収した大阪乗合自動車(青バス)から引き継いだ路線(今里から近鉄八尾駅に至る路線)が走っていました。

f:id:Matsuda_KOTU:20181228015004j:image[1978年当時の大阪市バス路線図]

では今のような加美線が出来たのはいつなのかといえば、恐らく1967?年に大阪市バスが加美長沢町(現:加美北五丁目)までに至る路線の運行を開始すると、後に近鉄バスも岸田堂から加美を経由して平野駅へ至る路線を運行したものかと思われます。(詳しい内容は現在も調査中です。🙇‍♂️)

f:id:Matsuda_KOTU:20181228020904j:image[1990年頃の近鉄バス路線図]

この頃では…

40号系統(布施~加美経由平野駅)

41号系統(布施~地下鉄南巽経由平野駅)

42号系統(布施~地下鉄南巽経由平野駅北口)

が存在していましたが、1993年6月に41号・42号系統が廃止されてしまい、布施~平野駅の路線は加美を経由する40号系統を残すだけになりました。

f:id:Matsuda_KOTU:20181228021828j:imagef:id:Matsuda_KOTU:20181228022006j:image[近鉄バスの乗り入れが無くなる平野駅前]

そして、2018年12月21日の改編で路線維持のために平野駅や三ノ瀬などの停留所が休止した等で40号系統は廃止となり、新41号系統(布施駅前~加美小学校経由加美北八丁目[循環])として運行を始めました。

 

[今回のまとめ]

かつてはJR平野駅も多くの近鉄バスの路線が乗り入れてましたが、今回の件を通して見ると悲しい気持ちです。😢

まぁ、運転手不足や利用客の減少はけっこう致命的な物ですから、仕方が無いような気もします。休止路線が増える一方ですが、なんとか頑張ってもらいたいものです…

 

では👋🏼

東淀川駅踏切に行ってきました

今回は珍しくバスではなく鉄道の話。といっても施設的な話ですが…

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ご存知の通り、こちらはJR東淀川駅隣に設置されている北宮原第一・第二踏切(開かずの踏切とも呼ばれている)です。私からしては初めて見た物ですが、こちらは有人の踏切です。

f:id:Matsuda_KOTU:20181111120543j:image[隣には詰所が存在]

f:id:Matsuda_KOTU:20181111120637j:image[廃止を知らせる予告看板]

そして私が一番見に行きたかったものはこれです。

f:id:Matsuda_KOTU:20181111121023j:image[JR東淀川駅(東口)駅舎]

明らかに古そうなこの駅舎は東淀川駅開業の年の1940年(昭和15年)から既に存在している物でこれはもう興奮もの。

f:id:Matsuda_KOTU:20181111121602j:image[駅名看板]

また、ここには狭隘な地下道が存在しており、童気沸き立った私は附近をパシャパシャ…

f:id:Matsuda_KOTU:20181111121649j:image[通り抜けるのにも一苦労]

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f:id:Matsuda_KOTU:20181111122110j:image[案内看板、古そうですが国鉄時代からあったもの?]

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こちらは東淀川駅(西口)駅舎、隣には南宮原踏切があります。

[まとめ]

見納めという形にはなりましたが、個人的にはかなり満足した気分です。

JR東淀川駅橋上化に伴い今日で廃止となりますが、竣工後78年間の長い歴史に幕が閉じるのは何だか寂しいですね。お疲れ様でした。

 

では👋🏻

 

岡電920号車

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[事業者] 岡電バス

[社番] 920

[車番] 岡山200か *954

[車種] 西工58MC B-II(三菱)

[型式] U-MP618M

[年式] 92年式(H.4)

[所属] 津高

[備考] 岡山22か 3464の登録替・除籍済

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岡電では珍しい登録替の車両(事情はわかりませんが…💧)

リアのGT3連テールは最近になって貴重なものになりつつありますね。

なお、920号車は同僚の919、918号車とともに運用離脱しています。岡電の3400番台もわずかといったところですか、いつの間にか全部いなくなってそうです笑

 

では👋🏼

 

 

中鉄から1つ目がいなくなります

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[事業者]中鉄北部バス

[社番] No.8858

[車番] 岡山22か 2887

[型式] P-RJ172BA

[年式]1988年式(昭和63年)

[備考]元:中鉄バス

[所属営]津山

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 中鉄では前一灯RJ(通称:1つ目)がこれ1台のみになります。今年で30年目、だいぶ朽ち果てた風ですが、メッキバンパーがピッカピカなのが魅力的です。ただ、出没率は割と少なめですが、つやまリレー号などのイベントで運用することも。

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 去年秋頃には当時では最古参の8755号車(岡22か 2634)が除籍となり、1つ目がラスト1台となった8858号車の動向が話題となっていました。しかし、どうやら来月に引退するようで現在は「ありがとうHM」を掲示して元気にうごいております。私も見納めにもう一度行きたいものです笑

 

では👋🏻

 

かつて存在した京阪バスの路線を調べてみたが…

 お久しぶりです。

最近は台風などの荒天続きでバスまつり中止があったり、他のイベントにも行けない等で撮影があまり行けてません…()

なのでずっと「面白いネタ無いかなぁ?」と色々資料漁りしていた訳ですが、意外と面白いネタが集まったので記事にしてみました。

Q.京阪バスでかつて存在した発着停留所ってどれくらい知ってますか?

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>かなり漠然とした内容ですが、どこの事業者でもかつて存在した発着停留所なんて枚挙に暇がないくらいありますよね。京阪バスも80~90年代だったら、ダイエースーパーや大谷橋、国鉄鴻池新田駅前やエキスポランドなどが挙げられますね。

「じゃあ、その前は何があったの?」

と聞かれれば黙り込んでしまいます。💧

なので、色々調べて面白い発着路線をいくつか見つけたので出来るだけ解説込みで紹介します。

①大金(だいきん)製作所前

寝屋川市の木田付近に存在する大きな会社です。(ダイキン関連の会社ではありません)

おそらく工場輸送路線でしょうね。

80年代の路線図には無かったので、70年代に廃線になったのでしょうか?

[路線図]

秦 秦 通  高 木 巣

――― ―

口 丁 大 ↓口 田 本

     ↓

     ↓→大金製作所前

 

[備考]通信大学前>電気通信大学前>電通大寝屋川キャンパス(現在)

②工廠前

この発着停留所は、戦時下の1939年に大阪工廠枚方兵器製造所の通勤路線として存在していました。枚方東口(現:枚方市駅)~工廠前(中宮経由)として運行していたものの1945年半ばには休止、その頃には工廠前製作所前と停留所名称を変更していましたが、1950年(昭和25年)に廃止となりました。

③浜

この発着停留所は、古川橋~浜間(一番経由)を結んでいた路線で菊水自動車というバス事業者が運行していた路線でした。しかし、1937年に大軌バス(現:近鉄バス)によって買収、そして数年後には京阪に譲渡される形となりましたが、1945年には既に休止となっており、もともと利用者も少なかったことから廃止になりました。

ただ路線自体は廃止となりましたが、浜停留所はある意味復活しています。

 それは国鉄吹田駅から国鉄八尾駅を結んで運行していた吹田八尾線が1958年に開設されたからです。けれども、今ではその路線もとうの昔に廃止になっちゃいましたが…😅

 

[おまけ]

営業には至らず計画上で存在した発着停留所だとこんなものがあります。

京阪神梅田駅前

正直、これほんとに存在したの?と疑っているところですが、もともと阪急と京阪が合併する前に新京阪鉄道が七条大宮から天六(天神橋駅)までバス事業を行っていました。1943年には陸上交通事業調整法により京阪と阪急が合併し、京阪神急行電鉄が誕生。

追記:戦後には京阪神が乗合自動車を梅田に乗り入れる計画で出されたものですが、実際に営業する事は無く、1949年に京阪と阪急が分離したことにより計画の段階で終わりました。

[路線図]

天 中 京阪

 ―神急

六 町 行梅

    田駅

 

[まとめ]

今回はかなりマニアックな内容で、解説するにしても推測が多めだったような気がします(すいません…)

個人的な感想ですが、京阪は何かと謎が多い部分が多いので色々調べてると楽しいです。

まぁ私が現段階で調べている以外にもまだまだ未発見な情報がゴロゴロしてそうですが😅

実は新京阪線エリアの方にも面白い路線があったのですが、また次の機会があれば紹介していきたいと思います。

 

では👋🏼

瓢箪山発着路線が無くなる!?

どうしてもこの記事がやりたかったのでこの話題を

近鉄バス株式会社 - 高速バス、路線バス、空港バス、貸切バス -

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どうやら瓢箪山発着路線が無くなるようで…

瓢箪山駅前と言えば、やはり運転手泣かせの狭隘な道路の折り返しが名物という感じがします笑(←だって折り返しの補助員さんまでもがいるわけですからね😅)

f:id:Matsuda_KOTU:20180915175007j:image(停車中のブルシチさん)

>昔はどうだったのか?

f:id:Matsuda_KOTU:20180915171920j:image(1937年当時を想定して作成)※ちなみに赤色のマーカーでなぞった路線が大軌バス(現:近鉄バス)の路線です。

瓢箪山駅近鉄バスが走り始めたのはなんと戦前。1932年9月に瓢箪山駅~額田警察署前間を運行したのが最初、しかも、当時の大阪電気軌道(現:近鉄)が直営の路線バスを兼営を初めて最初に走った路線なんですよ笑(実はもう1路線あるんですが)

そして数年後には他のバス事業者の路線を買収し、四条畷・恩智・柏原方面へと伸びていきます。

f:id:Matsuda_KOTU:20180915174737j:image(経法大行きの案内板)

戦後は山本駅・経法大方面の路線も開設されましたが、今年の10月上旬からは全ての路線が東花園駅に集約される予定で、約86年の長い歴史に幕が閉じるわけですね。

f:id:Matsuda_KOTU:20180915175358j:image
f:id:Matsuda_KOTU:20180915175356j:image(もうすぐ姿を消すであろうLED幕)

個人的にはけっこう撮影には良い場所で、また行きたいと考えていた矢先にこんな悲しいお知らせが飛んできて残念です。無くなる前にもう一度行って見納めをしたいものです笑

 

では👋🏼